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本社を700人の村に移したら、多様な人材がやってきた

ビールを手にする山田社長
日経ビジネス電子版

人口700人強の山梨県小菅村。多摩川の源流部であり、秋にはツキノワグマも目撃されるなど山深い田舎だ。ここに2020年秋、ある企業が東京・渋谷から本社を移した。「東京ブロンド」「東京ホワイト」などで知られるクラフトビールメーカーのFar Yeast Brewing(ファーイーストブルーイング)だ。

同社は小菅村に源流醸造所という製造拠点を持つ。営業などがある東京の本社を、源流醸造所と一体化したのだ。この東京から小菅村への本社移転を決めたのが山田司朗社長。新型コロナウイルスのまん延による働き方の変化が後押ししたこの決断は、思わぬ副産物も生もうとしている。

2011年に渋谷区で創業した同社が小菅村に工場を作ったのは17年。徐々に生産量が増えるにつれ、山田社長の中には「製造業にとって最も大事な製造拠点に本社を置くのが効率的で自然ではないか」という考えが頭をもたげてきた。「東京は販売する場所、消費地としては魅力があるが、賃料も法人税も高くビジネス拠点としての魅力はあまりない」からだ。

実はコロナ禍に見舞われる前の19年。山田社長は社員全員に、本社を小菅村に移転するのはどうか、と考えを聞いたことがある。しかし一部の社員から心理的な抵抗を感じたことから、そのときは本社移転を諦めた。「渋谷の会社なのに、という気持ちは社員の間に当然あるだろう」

そしてコロナの到来。同社もいや応なくリモートワークになり、緊急事態宣言が出るとオフィスの使用を禁止した。ところがリモートワークで働いている社員のパフォーマンスは落ちなかった。それを見た山田社長はやっぱり本社を移そうと決断した。

本社を移転した昨秋までに、2人の社員が退職した。山田社長は「残念だったけど、製造業にとって工場が重要というのは動かしがたい事実」と割り切った。そしてこれ以外は本社を移したデメリットは何もなかったと断言する。逆にいいことずくめだと。

メリットはまず地元が応援してくれたことだ。高齢化が進む田舎の村にとって、東京から本社がやってくるのは大ニュース。地元のマスコミに大々的に取り上げられ、地元企業からはコラボ商品を出さないかと声がかかるようになった。小菅村名産のヤマメの塩焼きやヒラタケなどと一緒になった「小菅村源流セット」などの商品が誕生した。村をあげての大歓迎は販路の拡大に直結し、売り上げはかなり増えた。

このほか賃料の大幅な削減効果や、製造と販売が同居することでコミュニケーションを取りやすくなったことなどもメリットとして出てきた。だが、最大の「副産物」は人材獲得だろう。

2人の米国人が入社

同社にはまもなく2人の米国人が入社することが決まっている。1人は既に日本に在住している品質保証業務の経験者。もう1人は米サンフランシスコの有名ブルワリーで勤務していたオペレーター、つまり即戦力だ。ともにホームページを見てアクセスしてきたという。

彼らの応募動機は「東京ではなく、こんな田舎でおしゃれなベルジャンスタイルのビールを造っているギャップが面白い」だそうだ。また大都会よりも、自然の中でビール造りに集中できることも魅力に感じてもらえたという。

不便な田舎暮らしも、米国人にはそれほどマイナスには見えないらしい。最寄りのスーパーまで車で30分というのは、国土が広大な米国では普通のこと。都会の日本人が駅近住居を好み、近くにコンビニがないと不便だと思うのとはやや違うようだ。シカなどが出るといっても、それも普通に受け止められたという。「彼らが田舎の小菅村に抵抗が全くないことは新鮮だった」と2人と面接した山田社長は振り返る。本社の「ド田舎」移転は、思わぬ国際人材の獲得につながった。

「東京よりも人材吸引力はある」

子どもを背負ったまま仕事をする酒井さん

新たな人材獲得につながった例は、外国人だけではない。広報やマーケティングを担当する若月香さんも、20年11月に入社したばかり。東京・有楽町の広告代理店で働いていたが、本社移転の記事を目にして応募してきた。山登りが趣味で都会よりも田舎の生活を希望していたこともある。「これまでのスキルを生かせるし、地域にも貢献できる」と意気込む。

20年9月から同社で働き始めた酒井江美さんは、2年前に夫の仕事の都合で小菅村に移住してきた。教員の資格を持つため、本来の希望は教師だが、そんな求人は小菅村にはない。そもそもデスクワークの仕事は村にはほぼないといっていい。そのため酒井さんもこれまでは道の駅などでアルバイトをしていた。

だが同社が移転してきたことで、酒井さんは請求書の処理などを手掛ける経理担当として採用された。「村には子どもを預けられるところもないが、ここは子どもをそばに置いて一緒に働ける。本当にありがたい」と感謝する。

本社を大都会から田舎に移したことは、人材採用で不利になるどころかメリットになっている。山田社長は「小菅村の方が東京よりも人材吸引力はあるのかもしれない」と思い始めている。

コロナ禍で働き方を見直した結果、本社を移そうという動きが増えている。その多くが東京脱出組だ。最も有名な例は、淡路島に本社機能の大半を移すパソナグループだろう。

高度成長期。企業は地方から東京へと本社を次々に移し、若年層を中心に人材も地方を離れた。それが招いたのが、東京一極集中と地方経済の弱体化だ。コロナ禍はその流れを反転させようとしている。

地方は一度ステークホルダーになると力強い存在になり得る。東京よりもはるかに共生力、共感力が高いからだ。日本最大の企業、トヨタ自動車も本社は愛知県豊田市。地方には力がないのではなく、これまで多くの企業がその潜在力を使っていなかっただけ、ともいえる。

米国でも本社移転ラッシュが起きている。米オラクルは20年12月、本社をカリフォルニア州からテキサス州のオースティンに移したと明らかにした。オラクルは従業員の生活と仕事の質が本社移転でより高まることを期待しているという。米ヒューレット・パッカード・エンタープライズも12月に同じくカリフォルニア州のシリコンバレーからテキサス州へ本社を移すと発表した。

東京の魅力が落ちているのか、それとも地方の魅力が見直されているのか。そもそも「本社」とはなんなのか。コロナは様々な問いを企業に投げかけている。

(日経ビジネス 奥 貴史)

[日経ビジネス電子版2021年1月7日の記事を再構成]

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