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70歳定年、雇用延長が企業と個人にもたらす「不幸」

70歳までの雇用制度導入により、働き方はどう変わるのか
日経ビジネス電子版

「65歳を過ぎるとね、働きたくてもビルの管理人か清掃員くらいしか仕事がないのですよ」

都内の大手デベロッパーのマンションで管理人を務めるAさん(68歳)はこう話す。60歳まで航空貨物会社の経理部門で働いていたAさん。定年後も嘱託制度などを利用して働き続けたが、嘱託として働けるのは65歳まで。その後は自分で職を探す必要があった。

「経理はどの会社にも必ずあるからすぐに見つかるだろう」。最初はそう思ったが、現実は甘くはなかった。「みんな若い人を雇いたいらしく、年齢がネックになってしまう。仕事を選べない現実に愕然(がくぜん)としました」。スキルを生かせない仕事は嫌だと、しばらくは働かずにぶらぶらする生活が続いていたが、妻に「このまま働かなくて大丈夫か」とハッパを掛けられた。

老いてはキャリアを生かせる仕事を選べないのか

Aさんは退職金の一部を住宅ローンの残債返済に充ててしまったため、貯蓄と合わせた資産は1500万円。何歳まで生きるか分からないが、老後資金には2000万円が必要という「2000万円問題」が世間を騒がせたこともあり、年金だけでは長い老後に備えるには心もとない。生活のためには仕事は選べないと、キャリアを生かせると考えていた経理の仕事ではなく、マンションの管理人になることを決めたという。

総務省の就業構造基本調査を基に集計したデータによると、「働きたいが働いていない高齢者」の割合は、60~64歳は15%であるのに対し、65~69歳は22%、70~74歳は27%と、年齢を経るごとに高くなっていく。定年後も働く意欲はあるものの、雇用の受け皿が整備されていない現実が浮かび上がる。

だが、その状況は大きく変わりそうだ。2012年に改正、13年に施行された「高年齢者雇用安定法」が20年にさらに改正され、今年4月から施行される。12年の改正で、企業は高齢者雇用に関し、(1)定年制の廃止(2)定年の引き上げ(3)継続雇用制度(再雇用など)の導入のいずれかで、希望する従業員を65歳まで雇用しなければならなくなった(全企業に適用されるのは25年から)。20年の改正はそれをさらに70歳までに引き上げることで、意欲ある高齢者がより長く働ける環境を整備しようとするものだ。

加えて今回の改正では「定年延長」「継続雇用制度」といった雇用による対応のみならず、業務委託や起業、NPO活動への支援など、さまざまな選択肢を提示するといったものも含まれている。

この70歳までの就業確保措置は、「努力義務」となっているが、将来的には、社員の健康状態や意欲に応じて70歳まで働ける環境を整備する責任を企業に課していく方向性であることは間違いないだろう。65歳までの雇用延長が全企業に適用される前に、すでに「70歳までの雇用」に向けた布石が打たれ始めているのだ。

組織の「高年齢化」がもたらす弊害

Aさんのように、働きたいが希望する働き口が見つからなかった高齢者には朗報のように聞こえるかもしれない。しかし、雇用主となる企業にとっては負担の大きい制度改正ともいえる。すべての企業が高齢者に魅力的な仕事を用意できるとは限らない。

目下、65歳まで再雇用制度を取り入れている企業の多くが、再雇用後の処遇低下や役割変化でモチベーションが下がりがちなシニア人材を、組織内でどう生かすか頭を悩ませている。この状態がさらに5年延長されるとなると、企業はいよいよ高齢者雇用のあり方について真剣に考えなければならない。

70歳まで雇用延長するとなった場合、まず考えられるのが、従業員の高年齢化が組織に与える弊害だ。意識的に人材配置を変えないと、長期にわたり同じ業務に就く人が増えるため、若手のモチベーションをそぐ状態が発生することが懸念される。産業構造の変化や、デジタルトランスフォーメーション(DX)などといった新しい動きに臨機応変に対応できなくなるリスクも生まれる。

従業員の数が増えてしまうため、賃金や厚生年金の負担が重くなる問題も発生する。新規採用をどう進めるのか、高齢の従業員と他の世代の賃金水準を不公平感なく調整するにはどうすればよいのか、抜本的に考え直す必要がある。

年齢を重ねるにつれて体力が衰えたり、病気にかかりやすくなったりする高齢者人材に対する健康管理、安全管理にも配慮しなければならない。週5日フルタイムを前提とした働き方以外の選択肢も整備する必要があるだろう。

このように、企業が70歳までの雇用に対応しようとすると、従来型の人事制度では多くの問題が発生する。生産性を維持し、かつ息の長い雇用環境を整備するには、企業自体が変わらなければならないのだ。さもなくば、70歳までの雇用延長をめぐる混乱があちこちの企業で起こることが予想される。

経験や知識が豊富な高齢者人材は、生かし方次第では若手に対する見本や良きアドバイザーになり得る。40年には6000万人を割り込むとされる、15歳以上65歳未満の生産年齢人口を補う労働力としての役割も期待できるだろう。それだけに、高齢者雇用は今後の企業の人事戦略の行く末を左右する問題といっても過言ではない。

(日経ビジネス 武田安恵)

[日経ビジネス電子版 2021年2月1日の記事を再構成]

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