安野光雅さん死去「目には見えないものを描く」

2020年のクリスマスイブに94歳で亡くなった画家の安野光雅さんの絵は、ユーモアとぬくもりに満ちていて、年齢も性別も国境も超えて多くの人に愛された。記者がインタビューするたびに、ひょうひょうとした語り口で、冗談とも本気ともつかない昔話や芸術観を聞かせてくれた。雑談のようでいて、実は深い意味が込められていたりするから油断ならない。ちゃめっ気たっぷりの人柄がそのまま絵に表れていた。
上っても元の階に戻ってしまう階段など、精巧なだまし絵を描いた「ふしぎなえ」(1968年)をはじめ、ストーリーも文章もないユニークな絵本で一躍有名になった。晩年の取材で「絵本に教訓はいらない。教訓めいた美談で泣かせるなんて、僕は好きじゃない」と語っていたが、いかにも安野さんらしい言葉だった。
司馬遼太郎の紀行文集「街道をゆく」の挿画をはじめ、仕事は多岐にわたったが、最たる特徴は数学や天文学にまつわる理科系の絵本や著書が多かった点にあるだろう。
「科学と芸術は真実を見る2つの目なんですよ」と話してくれたことがある。「科学の発見と芸術の美は似ている。地球が回っているのだと知って人類はドキッとした。男が裸婦の絵を見るとドキッとするでしょう。同じですよ」と笑って「僕は沈む夕日を見ながら、朝日が昇る地球の裏側に思いをはせているんです」と付け加えた。
そのときは分かったような分からないような顔をしてしまったが、依頼した原稿がすぐに送られてきた。冒頭に次のような文章があってハッとさせられた。
「芸術的飛躍は科学の進展に寄与してきたし、科学的思索は芸術的手続きを経なければ万人のものにならない。今回は芸術と科学は、本来切り離して考えることのできないものだ、という観点に立って美術作品を見ることを試みたい」(2001年、本紙朝刊文化面「美の十選 理性の目」)
別の取材では「僕は目に見えないものを描けた時に絵になると思っているんです」と語った。「平家物語」の絵を描こうと壇ノ浦などの故地を訪ねても往時の面影はほとんどない。しかし「現場に行けば妄想が膨らむ。そういう土地には歴史がほこりのように積もっていて、リアルに写生したつもりでも舞い上がった歴史を描き込んでいるんですよ」。安野さんの絵が好奇心と想像力を刺激するのはそのためだろう。
科学好きの安野さんと話していて、唯一、意見が合わなかったことがある。死後の世界はあるかという話で、安野さんは「ない。無になる」と言った。冗談だったのかもしれないが「いやあ、あったね、死後の世界」と笑いながら、天国の風景を写生している姿が目に浮かぶ。
(編集委員 吉田俊宏)