東京国際映画祭、改革・会場移転で「第3期」は来るか


東京国際映画祭が大胆な改革に踏み出した。主会場を六本木から日比谷・銀座地区に移転。全部門の作品選定を統括するプログラミング・ディレクターに市山尚三氏を迎える。主会場の移転は17年ぶり。17年前からコンペ作品の選定を手がけてきた矢田部吉彦氏は退任する。
今年で34回目となる同映画祭の歴史を振り返ると、前半と後半で様相が大きく異なる。渋谷が主会場だった前半期は1985年の創設からバブル期にかけて華やかに開催され、アジア最大の国際映画祭として作品も充実していた。一方で映画会社の出向者に頼る組織は安定せず、人材は流出、映画人との人脈を保てなかった。トップが代わるたびに映画祭のカラーも変わった。財源は不安定で、バブル崩壊後の沈滞も著しかった。
逆に2004年以降の後半期は「低位安定」だった。事務局がユニジャパンに移管され、組織は安定した。一方で釜山などアジアの映画祭が台頭し、東京の地位は低下した。事務局のマンネリ化への危機意識は希薄で、歴代トップも改革できなかった。
改革を断行したのは一昨年就任した前国際交流基金理事長の安藤裕康チェアマンだ。安藤氏は「クオリティーと品格を維持しながら、多くの人に受け入れられる映画祭にしたい」と語る。裏返せば、今は作品の質を保てておらず、一部の人しか関心がない。それは東京映画祭の国際的評価に一致する。
市山氏は90年代に東京映画祭のアジア部門の作品選定にあたっていたが、00年に東京フィルメックスを創設。アジアの未公開作のショーケースとすると共に、人材育成事業など21世紀型の映画祭を先取りした。ジャ・ジャンクー監督らのプロデューサーとしても活躍し、海外の映画祭関連の人脈では国内に並ぶ者がない。プログラミング・ディレクター就任に伴い、フィルメックスの作品選定からは外れる。
日比谷・銀座への移転も安藤氏の強い意志で実現した。主会場は8スクリーンで、規模はやや縮小するが、質の変化に注目したい。そこに「第3期」の芽を見たい。
(古賀重樹)