高畑勲、宮崎駿両監督を見いだした大塚康生さん逝く

日本を代表するアニメーターの大塚康生さんが3月15日、89歳で亡くなった。日本初のカラー長編アニメーション映画「白蛇伝」(1958年)をはじめ、「ルパン三世」「未来少年コナン」「じゃりン子チエ」などに携わり、日本のアニメの礎を築いた。若き日の高畑勲、宮崎駿両監督の才能を高く評価し、作品に抜てきした。2人にとって青春時代を共に過ごした先輩で、師匠のような存在でもあった。
政治漫画家志望だった大塚さんは、旧ソ連の「せむしのこうま」やフランスの「やぶにらみの暴君」といった名作に触れてアニメに魅了された。勤務していた麻薬取締官事務所を辞め、26歳でアニメの世界へ。日動映画を経て、56年に第1期生として東映動画(現在の東映アニメーション)に入社した。「白蛇伝」でアニメの動きを描く動画を担当して腕を上げ、「西遊記」「わんぱく王子の大蛇退治」、テレビアニメ「狼少年ケン」などでは原画を任された。
大塚さんを語るうえで欠かせないのが、「太陽の王子ホルスの大冒険」(68年)だ。原画など作画全体を取り締まる作画監督の就任を打診された大塚さんは、会社の後輩である高畑演出を条件に引き受けた。高畑監督のデビュー作となり、原画として参加した宮崎監督は「岩男モーグ」の登場場面などで非凡な才能を示した。大塚さんも主人公が巨大魚と戦う場面を自ら作画し、躍動感あふれる「大塚アクション」を披露した。

テレビアニメ「ルパン三世」の最初のシリーズ(パート1)では作画監督をつとめ、シリーズ途中から高畑、宮崎両監督が演出に加わり、後に高く評価された。宮崎監督デビュー作「ルパン三世 カリオストロの城」など2人との協働はその後も続いた。車やプラモデル好きとしても知られた。
「描くのが断トツに速く、うまい。キャラクターの捉え方や動きのあるポーズなど大塚さんから大いに勉強した」とアニメーターの小田部羊一さんは振り返る。ガリ版のガリ切りや資料の整理整頓などにもたけ、見習ったという。「あらゆることを偉ぶらずに教えてくれた。僕より5歳上だが、それ以上に大きな人だった。いたずら好きで少しおっちょこちょい。皆に愛された」と大塚さんを悼んだ。
(関原のり子)
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