舞台と人生(9)演出家 浅利慶太
宿命の先に見いだした自由 編集委員 内田洋一
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劇団四季を率いた浅利慶太さんは、宿命という言葉が好きだった。こう考えていた。
この世界は人間の手が及ばない大きな力に支配されている。人間は本来、孤独な存在だ。けれど宿命を引き受け、そのなかで懸命に行為すること、そこにこそ尊い自由はあるだろう。この人生は生きるに値する――。
慶大仏文科在学中の1953年に仲間と四季を旗揚げした浅利さんは、時代の思潮だったサルトルの哲学に傾倒した。困難な状況をあえて引き受け、立ち向かう行為こそドラマだとみたが、驚くべきは実人生もそのように演出したことだ。
浅利さんの出発点には、ふたつの死がある。戦後の混乱期に自ら命を絶った姉の陽子と劇作家の加藤道夫である。
与党政治家と太いパイプをもった後年の姿からは想像しがたいが、若き日の浅利さんは姉とともに急進的な社会主義運動にかかわっている。陽子は運動を推し進める劇団の女優となり、やがて行きづまる。人生の美をうたう詩劇を書いた加藤は浅利さんの師だったが、あまりの純粋さゆえ「芸術上の行きづまり」に直面したといわれる。...
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