舞台と人生(7)演出家 千田是也
狂信しりぞけた新劇の巨人 編集委員 内田洋一
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演出家で名優でもあった千田是也さんといえば、新劇の巨人だった。けれど回顧されることもあまりない。新劇という言葉も、もはや死語とか。明治の末、西欧近代演劇の影響を受け、リアリズムを基調に始められたせりふ劇、そんなふうに注釈しておかないと用いることが難しい言葉となってしまった。
なにしろ関東大震災後の1924年、新劇の拠点となる築地小劇場の旗揚げ公演で初舞台を踏んでいる。渡独してドイツ共産党に入党、帰国後は戦時体制下の弾圧によって投獄された。1944年、東野英治郎らと俳優座をつくっている。
反体制の精神を生涯もちつづけ、同時に左翼の教条主義も嫌った。左右問わず、人間の狂信ほどおそろしいものはないと骨身にしみていたのである。その原点が名前に刻まれていたことはよく知られている。
有名な逸話を「千田是也演劇論集」(第9巻)に収められたインタビューから、ふりかえっておくと、こうなる。
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関東大震災2日目の晩、朝鮮人や無政府主義者が、井戸に毒を投げこんだというデマがばらまかれた。あちこちに自警団ができる。千駄ケ谷に住んでいた千田さんも若者としてかりだされ、棒をもって警戒にあたった。ところが「敵」と間違われ、千駄ケ谷駅前の空き地で後ろからいきなり棍棒(こんぼう)でぶん殴られる。駆けつづけた末に、提灯(ちょうちん)で囲まれてしまった。...