舞台と人生(10)劇作家 山崎正和
おにぎりも文化も両方必要だ 編集委員 内田洋一
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阪神大震災が起きた1995年1月17日早朝、山崎正和さんは風邪をひいて寝こんでいた。兵庫県西宮市の自宅で激しい揺れに見舞われたが、無事だった。そのとき60歳、ふらつきながらも、ぎりぎり電車の通じていた阪急の西宮北口駅まで歩く。別邸に避難するためだった。駅に近づくにつれ、震度7によるすさまじい破壊の跡をみる。
「闘わないといけないな」
最初の思いが兆すと、体に力がみなぎってきたという。おごる文明への天罰だという「天譴論(てんけんろん)」がおこると予感したのだ。「社交する人間」や「柔らかい個人主義の誕生」を著し、都市文化の大切さを説く論客は、文明の擁護者という役を自らに振ったのだろう。大震災は一世一代の舞台となる。
被災地は水とおにぎりがなにより必要だ。こんなときに芝居どころじゃない。それが大方の見方だった。敢然、山崎さんは「おにぎりも文化も両方必要だ」と言挙げし、今こそ芝居を上演しようと猛進した。...
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