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江戸時代の情緒のこる福島・大内宿、今も続く地道な復元

江戸時代の宿場町の街並みが残る大内宿(福島県下郷町)

江戸時代の宿場の街並みが残る福島県下郷町の大内宿。伝統的な茅(かや)ぶき屋根が連なる一帯が「重要伝統的建造物群保存地区」として国に指定されてから4月で40年になる。一度は近代化の波を受けて失われそうになった街並みを地道に復元する営みは現在も続いている。

大内宿は会津地方と栃木県の日光を結ぶ会津西街道の宿場町として栄えた。会津藩の厳格な管理に置かれたこともあり、同じ構造の重厚な建物が道の両脇に整然と並ぶ独特の景観が生まれた。

千葉県から友人と車で来た会社員の女性は「古風な建物が周りの風景とマッチして昔話に出てきそうな雰囲気」と驚く。

現在300㍍ほどの旧街道沿いに47棟の建物が並び、そばなどの郷土料理店やお土産店を営んでいる。特産品として箸の代わりに一本のネギを使って食べる「ねぎそば」が有名なほか、会津塗として知られる漆の塗り物が人気だ。

鉄道・幹線道路ルートから外れ、街並み守る

江戸時代の街道や宿場の多くは明治になると衰退した。ただ鉄道の駅が置かれたり幹線道路が引かれたりした宿場町には近代的な都市に姿を変えた例も多い。一方、大内宿は山あいをぬって歩く旧街道の峠の上にあり、鉄道や幹線道路のルートからは外れた。結果としてそのことが古い建物や街並みを開発から守ることにつながった。

ただ、よく見ると47棟の建物のうち十棟余りの屋根はトタン張りだ。戦後しばらくするとコストが安くて長持ちするトタン屋根にする動きが広がったためだ。

この20年は1~2年に1軒ずつ茅ぶき屋根に戻す動きが続いている。公的な補助金が出るものの建物の所有者に自己負担が発生するため復元のペースは緩やかだ。

同様に建物のアルミサッシを木製の雨戸に戻したり、舗装した道路のアスファルトを撤去したりする活動を続けて今日に至っている。

震災後に観光客が減少、コロナが追い打ち

大内宿を訪れる観光客は2011年の東日本大震災の前は年間100万人を超えていたが、最近は80万人前後にとどまる。震災による原発事故が響き、福島県を訪れる外国人が減ったことが一因だ。足元ではコロナ禍による入国制限が追い打ちをかけている。

大内宿観光協会は「リピーターを増やし、100万人台を維持していけば将来にわたって持続的に街並みを保全できる」とみる。

単純に計算すれば100万人の来訪者が食事やお土産に1人2000円使えば20億円の収入になる。47戸で割れば1戸あたり年間4千万円強の収入だ。

40年前に定めた大内宿の住民憲章は建物や山林について「売らない、貸さない、壊さない」という3原則を打ち出した。さらに憲章では観光による収益が外部に流出するのを避け、富を集落内で再分配するために「外部資本から大内宿を守る」方針も定めている。

大内宿が全国各地にある歴史型テーマパークとはひと味違った風情を漂わせている理由の一つはこの憲章の存在にありそうだ。

(郡山支局長 村田和彦)

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