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「いつか正の遺産に」 原子力PR看板、標語考案の男性

大沼さん(後方右)一家は東日本大震災・原子力災害伝承館を開館日に訪れ、看板の写真パネルなどを見学した(2020年9月、福島県双葉町)

「原子力 明るい未来のエネルギー」。東京電力福島第1原子力発電所が立地し、今なお全町避難が続く福島県双葉町に、こんな文言の大型看板が立っていた。標語を考案した自営業、大沼勇治さん(45)は原発事故後に撤去された看板の保存や展示を求めてきた。

1988年、小学校の宿題で作った標語が当時の町長から表彰された。3年後、看板に採用され「誇らしかった」。夜は明かりがともり、クリスマスにはイルミネーションが飾り付けられた。

標語が優秀賞となり表彰される小学6年生(当時)の大沼さん(右から2人目)

東電は身近な存在だった。自宅前には毎朝、原発作業員の通勤用マイクロバスが止まった。学校では第1原発の写真入りの下敷きを使い、町内で暮らす東電社員には魚釣りやサッカーをして遊んでもらった。

大人になってもそれは変わらない。2009年、隣町で結納を終えた帰り道。「私が考えた標語です」。看板をくぐった送迎バスの中で妻の父母らに伝えた。その前年、看板脇の土地に東電社員向けのオール電化のアパートを建てていた。東電の優良社宅リストに入ったのが自慢だった。

「原発の町」で育った誇りは事故で吹き飛んだ。避難先で目にする報道は、標語を皮肉の象徴として繰り返し取り上げた。人の住めない町は夜の明かりも消えたまま。「標語とは正反対で真っ暗になった」。失敗を背負い込むような感覚になり「心が折れそうだった」。

だが、避難先の茨城県で暮らすなか、過去を消すことはできないと思い直した。「双葉で過ごした時間は人生の財産に変わりはない」。震災後に生まれた息子2人に真実を伝えたいとも考えた。15年、町が老朽化を理由に看板撤去を計画していると知り、反対の署名を集めた。

看板は撤去されたが、町は保存を決めた。20年9月の開館当初は写真パネルの展示にとどまっていた東日本大震災・原子力災害伝承館(同町)でも近く、実物が屋外に設置される。「訪れる人が看板を見て現実を知り、考えるきっかけになればいい。今は負の遺産でも、いつか正の遺産になる」。大沼さんの願いだ。

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