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動けなかった50分 「本気の備え」問う 大川小の遺族

(更新)
大川小学校を訪れたツアー客に震災の記憶を語り継ぐ佐藤敏郎さん(2日、宮城県石巻市)

「子供の命を守るため、学校は本気で備えているか」。児童・教職員ら84人が津波の犠牲になった宮城県石巻市立大川小で、6年だった次女、みずほさん(当時12)を亡くした佐藤敏郎さん(57)は問い続けてきた。

2011年3月11日。午後2時46分の地震発生から50分間、児童らは校庭で待機していた。石巻市の追波湾から北上川を4キロほど遡った大川小の周辺でも、防災無線などが津波の襲来を告げていた。

佐藤さんは「意思決定が遅れてパニックになり、避難ルートの判断を誤った」と言い切る。避難に使えたのは1分間。校舎の裏山でなく、近くの川沿いにある高さ7メートルほどの小高い場所に向かった。川を遡上した津波が一帯をのみこんだ。

犠牲者は児童74人と教職員10人。学校管理下で最悪とされる被害について、佐藤さんら遺族は震災直後から「我が子はなぜ命を落としたのか」と検証を続けた。毎週末の夜、10人前後が地元の集会所で車座になり、話し合った。時におえつが漏れ、慟哭(どうこく)が響いた。

集会で市教育委員会の事後対応を巡り疑問や批判が渦巻く中、佐藤さんは冷静に呼びかけた。「教訓をくむにしても責任を取るにしても、遺族も教委も腹をくくり、起きたことに向き合わないといけない。子供の命を真ん中に置いて考えよう」

あれから10年。佐藤さんは今、遺族ら十数人でつくる「大川伝承の会」共同代表として、大川小で語り部を務める。あの日の出来事だけでなく、学校という組織の意思決定や事前の備えの大切さも伝える。同会は19年、全国の約1万5000人を案内した。

20年は新型コロナウイルスの影響で現地ガイドを一時中止したが、オンラインに活動の場を広げた。ドローンで撮影した動画も取り入れるなど内容を充実させた。「現地だから伝わることもあるが、遠方で来られない人にも伝えることができる」と裾野の広がりを実感する。

20年11月、県教委は公立学校の新任校長向けの防災研修を初めて大川小で開き、佐藤さんは講師を務めた。震災翌年には開催を求めていたことが、ようやく実現した。

「小さな一歩かもしれないが、積み重ねていく」。亡くなった命は戻らなくても「未来の命を守るために」。

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