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量子コンピューターが変革する9領域 金融・農業…

CBINSIGHTS
次世代計算機の量子コンピューターが医療や金融などの業界・領域に大きな変革をもたらそうとしている。計算速度が飛躍的に高まることで、従来の常識を覆す用途が開拓される。米グーグルや米IBMといった大手やスタートアップ各社の取り組みをCBインサイツがまとめた。

量子コンピューターは近いうちに、従来のどのコンピューターよりも格段に速く問題に対処できるようになるだろう。化学反応のシミュレーションや物流の最適化、大規模なデータセットの分類など、膨大な変数や可能性がある課題への企業の対応に特に大きな影響を及ぼす可能性がある。

日本経済新聞社は、スタートアップ企業やそれに投資するベンチャーキャピタルなどの動向を調査・分析する米CBインサイツ(ニューヨーク)と業務提携しています。同社の発行するスタートアップ企業やテクノロジーに関するリポートを日本語に翻訳し、日経電子版に週2回掲載しています。

この新しい技術は多くの分野に変革をもたらす可能性を秘めているが、早急な導入が必要となる分野もある。

今回のリポートでは、量子コンピューティングが既にうねりを起こしつつある9つの業界・領域を取り上げる。

1.医療

量子コンピューターは医療に様々な影響を及ぼす可能性がある。

米グーグルはこのほど、量子コンピューターを使って化学反応をシミュレーションすることに成功したと発表した。これはまだ開発の初期段階にある量子技術の一里塚となった。この相互作用は比較的単純で、現在広く使われているいわゆる「古典コンピューター」でもモデル化できるが、未来の量子コンピューターは従来型のコンピューターよりもずっと正確に複雑な分子の相互作用をシミュレーションできるようになる。これにより薬剤候補の効果を予測しやすくなり、創薬の取り組みが加速する可能性がある。

量子コンピューティングで活発になる創薬のもう一つの分野は、たんぱく質の構造解析だ。カナダのスタートアップ、プロテインキュア(ProteinQure)は既に現行の量子コンピューターを使ってたんぱく質が体内でどう立体構造になるかを予測している。これは従来型のコンピューターでは極めて難しいタスクだが、量子コンピューティングを使って対応すれば有効なたんぱく質に基づく薬をもっと簡単に開発できるようになるだろう。

(出所:プロテインキュア)

いずれは、量子コンピューティングを使ってゲノム(全遺伝情報)を高速で解析し、一人ひとりの患者に応じた治療計画を伝えられるようになり、より優れたオーダーメード医療の提供が可能になるだろう。

ゲノム解読では大量のデータが生成される。つまり、ヒトのDNAを解析するには多くの演算力が必要となる。ヒトゲノムの解読に必要な費用や資源の削減は既に急速に進んでいるが、高性能の量子コンピューターはこのデータを格段に速く分類できるため、ゲノム解読はさらに効率化し、規模を拡大しやすくなる。

多くの製薬大手が量子コンピューティングに関心を示している。米メルクのベンチャー部門は2020年9月、量子計算に必要なソフトウエアを手掛ける米ザパタ・コンピューティング(Zapata Computing)のシリーズB(調達額3800万ドル)に参加した。一方、米バイオ製薬大手バイオジェンはカナダの量子ソフト会社1Qビット(1Qbit)や米コンサルティング大手アクセンチュアと提携し、分子を比較するプラットフォームを開発して創薬の初期段階を加速する。

2.金融

金融アナリストは可能性や仮定を織り込んだ数理モデルを活用して市場やポートフォリオの動きを予測する。量子コンピューターでデータ解析を迅速化し、より優れた予測モデルを実行し、相反する可能性をより正確に比較検討することで、予測の精度を上げることができる。ポートフォリオのリスク最適化や不正検知などに関連する複雑な最適化問題を解くことも可能だ。

量子コンピューターが変える金融のもう一つの分野は、金融予測モデルのリスクや不確実性の影響を理解するために使う確率のシミュレーション「モンテカルロ・シミュレーション」だ。米IBMは20年、金融リスク評価で従来のモンテカルロ・シミュレーションよりも優れた結果を示した量子アルゴリズムに関する研究を発表した。

(出所:IBM)

英ナットウエスト・グループ(旧RBS)、オーストラリア・コモンウェルス銀行、米ゴールドマン・サックス、米シティグループなど多くの金融機関は量子コンピューティングのスタートアップに出資している。

一部では既に成果が見え始めている。ナットウエストでイノベーション(技術革新)のスカウト・研究活動を統括するジョン・スチュワート氏は英紙タイムズの取材に対し、同行は1Qビットが開発した量子アルゴリズムを使い、不良債権の処理に必要な費用の計算時間を数週間から「数秒」に短縮することに成功したと語った。

3.サイバーセキュリティー

サイバーセキュリティーは量子コンピューティングにより一変する可能性がある。

繊細なデータや電気通信の安全性を保つために現在広く使われている「RSA暗号」などの暗号技術は、高性能の量子コンピューターによって破られる恐れがあるからだ。

この見通しは1990年代に理論化された量子アルゴリズム「ショアのアルゴリズム」に基づく。このアルゴリズムは高性能の量子コンピューター(30年ごろに登場するとの見方もある)が大きな整数の素因数を高速で見つける手法を示している。これは従来型のコンピューターでは極めて難しく、RSA暗号はこの点をよりどころにオンラインでやり取りされるデータを守っている。

一方、「ポスト量子暗号」と総称される新たな暗号化技術を開発し、この脅威に対処しようとする企業が現れている。こうした技術の多くは高性能の量子コンピューターでも解読が難しい問題をつくり出すことで、量子コンピューターへの耐性が高くなるように設計されている。この分野の企業にはカナダのアイサラ(Isara)や英ポストクオンタム(Post Quantum)などがある。米国立標準技術研究所(NIST)もこのアプローチを支援しており、22年までにポスト量子暗号の基準を策定する計画だ。

(出所:ポストクオンタム)

「量子鍵配送(QKD)」という新しい技術も量子コンピューターの暗号解読能力をある程度妨げる可能性がある。QKDでは量子力学の原理を利用して暗号鍵を伝送することにより、安全性を保つ。量子システムは測定されると状態が変わるため、盗聴者がQKD通信を傍受した場合には検知できる。つまり、うまくいけば量子コンピューターを操るハッカーでも情報を盗めない。

QKDは現時点では有効な距離(現行のQKDネットワークの大半はかなり小さい)など実用面の課題があるが、近いうちに一大産業に成長すると期待されている。例えば、東芝は20年10月、30年度にはQKDサービスで売上高30億ドルを目指す方針を示した。

4.ブロックチェーンと仮想通貨

量子コンピューティングによって暗号を解読される脅威は、ブロックチェーン(分散型台帳)技術やビットコインやイーサリアムなどの暗号資産(仮想通貨)にも及んでいる。量子コンピューターに解読されてしまう暗号方式を使って取引を完了しているからだ。

量子の脅威はプロジェクトによって異なるが、最悪のケースでは深刻な影響を受ける恐れがある。

例えば、デロイトの分析によると、ビットコインの約25%(現在の価値では数千億ドル相当)は量子コンピューティングの脅威にさらされやすい方法で保管されており、量子コンピューターを操るハッカーに簡単に盗まれてしまう可能性がある。さらに、高性能の量子コンピューターが開発されれば、ネットワークの他の参加者が確認するよりも先に取引の暗号が解読されて取引が妨害され、分散システムの信頼性が崩れる恐れもある。

しかも、これはビットコインに限った話だ。ブロックチェーン技術は資産取引やサプライチェーン(供給網)、ID管理などますます多くの用途で使われるようになっている。

多くの企業は量子コンピューターが及ぼす深刻なリスクに危機感を抱き、ブロックチェーン技術の安全性向上に乗り出している。ビットコインやイーサリアムなど既存ネットワークは改良版向けの耐量子策を試している。これは「量子耐性台帳(QRL)」と呼ぶ新たなブロックチェーン方式で、量子コンピューターに対抗するために開発が進められている。米キューセキュア(QuSecure)やブルガリアのカイセック(Qaisec)などのスタートアップは法人向けに量子耐性を備えたブロックチェーン技術の開発に取り組んでいる。

耐量子ブロックチェーンが本格的に登場するのは、数年後にポスト量子暗号の基準が確立されてからになるだろう。ブロックチェーン各社はその間、量子コンピューターの進化に戦々恐々とし続けることになりそうだ。

5.人工知能(AI)

量子コンピューターは大規模なデータセットを分類し、複雑なモデルをシミュレーションし、最適化問題を高速で解くことができる。こうした能力のAIへの応用が注目を集めている。

グーグルは従来のコンピューティングと量子コンピューティングを組み合わせた機械学習ツールの開発に取り組んでいることを明らかにしている。こうしたツールを近い将来の量子コンピューターと連携することも視野に入れているという。

量子ソフトのザパタも最近、短期的には量子コンピューターを使った機械学習「量子機械学習」が量子コンピューターの最も有望な商業利用の一つになるとの見方を示した。

量子機械学習は近いうちに、自動運転車や天気予報など幅広い分野で一定の商業的メリットをもたらすかもしれない。もっとも、未来の量子コンピューターはAIを一段と進化させるだろう。

量子コンピューティングを使ったAIはコンピュータービジョン(映像から様々な情報を得る技術)やパターン認識、音声認識、機械翻訳など様々なツールを進化させる可能性がある。

いずれはもっと人間のようにふるまうAIシステムの開発を支えるかもしれない。例えば、リアルタイムで最適な判断を下し、刻一刻と変わる環境や新たな状況により速く対応できるロボットの開発が可能になるだろう。

6.物流

量子コンピューターは最適化が得意だ。理論上では、スーパーコンピューターでも数千年かかるとされる複雑な最適化問題をわずか数分で解くことができる。

国際配送ルートやサプライチェーン(供給網)の調整は極めて複雑で、膨大な変数があることを考えると、量子コンピューティングが物流の課題に対処する可能性は大いにある。

独DHLは既に小包の梱包を効率化し、世界の配達経路を最適化するために量子コンピューターに着目している。配達を迅速化する一方で、注文のキャンセルや再配達などの変化に柔軟に対応できるようにしたいと考えている。

量子コンピューターを使って交通の流れを改善しようとしている企業もある。配達車両は短時間でより多くの地点に立ち寄ることが可能になる。

(出所:フォルクスワーゲン)

独フォルクスワーゲン(VW)は20年、量子コンピューターを手掛けるカナダのDウエーブ・システムズとともに、ポルトガルのリスボンでバスの走行経路を最適化する実証実験を実施した。それぞれのバスには交通状況の変化に応じてリアルタイムで更新される個別の経路が割り当てられた。VWはこのテクノロジーをいずれ商用化する方針だ。

7.製造と工業デザイン

量子コンピューティングは製造や工業デザインについて考えている大手企業の関心も引き付けている。

欧州エアバスは15年に量子コンピューティング部門を新設したほか、量子ソフトの米QCウェア(QC Ware)や量子コンピューターメーカー、米アイオンQ(IonQ)にも出資している。

エアバスが注目している分野の一つは「量子アニーリング」という方式の量子コンピューターをデジタルモデルの構築や材料科学に活用することだ。例えば、一定の性能を持つ量子コンピューターは膨大な変数を短時間で取捨選択し、最も効率的な飛行機の翼のデザイン決定を支援する。

独ダイムラーや韓国サムスン電子なども量子コンピューターを活用し、高性能なバッテリーの新しい原材料について研究している。

IBMも自社の量子コンピューターを製造業で活用することを想定している。製造業での主な用途として、材料科学や制御プロセスの先端分析、リスクモデルの構築などを挙げている。

IBMが想定する量子コンピューティングの製造業への応用(出所:IBM)

量子コンピューティングの製造業での利用は、高性能のマシンの登場に伴い数十年かけて徐々に進むことになりそうだ。もっとも、機械学習を手掛けるカナダのソリッドステートAI(Solid State AI)などは既に、製造業向けの量子対応サービスを提供している。

8.農業

量子コンピューターは肥料の生産を効率化し、農業を活性化する可能性がある。

世界各国の農業で使われているほぼ全ての肥料はアンモニアを原料としている。このため、アンモニア(やその代替品)の製造を効率化できれば、安価でエネルギー消費量も少ない肥料の生産が可能になる。有効な肥料をもっと簡単に入手できるようになれば、増える一方の世界の人口に十分な食料を供給できる。

アンモニアは需要が多く、CBインサイツの業界アナリスト予想では25年の世界の市場規模は770億ドルに上る。

アンモニアの合成や代替プロセスは長い間ほとんど進展していない。合成や代替が可能になる触媒の組み合わせ候補が極めて多く、基本的には1900年代に発明された多大なエネルギーを必要とする技術「ハーバー・ボッシュ法」をいまだに使っている。

現行のスーパーコンピューターでアンモニアを合成する最適な触媒の組み合わせを特定するには、数百年かかる。

だが、高性能の量子コンピューターを使えば、様々な触媒の組み合わせの分析を効率化し、アンモニアを合成するより適切な方法を見つけることができる。これは化学反応のシミュレーションの(創薬に次ぐ)もう一つの応用例だ。

さらに、植物の根に共生するバクテリアはニトロゲナーゼという分子を使い、エネルギーをほとんど消費せずに日々アンモニアを生成することが分かっている。この分子は最も高性能のスーパーコンピューターでもシミュレーションできず、理解が進んでいない。だが、将来の量子コンピューターを使えば可能になるだろう。

9.安全保障

世界各国の政府は量子コンピューティングの研究に多額の費用を投じている。目的の一つは安全保障の強化だ。

量子コンピューターの防衛分野への応用には、スパイ活動のための暗号解読、戦場のシミュレーションの実行、高性能の軍用車両に使う素材の開発などがある。

米政府は20年、エネルギー省が運営する量子技術の研究機関に6億2500万ドル弱を拠出すると発表した。米マイクロソフトやIBM、米防衛大手ロッキード・マーチンなどの企業もこの取り組みに計3億4000万ドルを提供した。

米国は量子コンピューティングなど量子情報科学(QIS)への投資を増やしている(出所:米国家量子調整局)

中国政府も多くの量子技術プロジェクトに数十億ドルをつぎ込んでいる。中国に拠点を置く研究チームは最近、量子コンピューティングのブレークスルーを果たしたと発表した。

量子コンピューティングが安全保障分野で積極的な役割を担うようになる時期は定かではないが、ライバルに後れを取りたいと思う国はもちろん存在しない。新たな「軍拡競争」は既に始まっている。

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