古賀信行 私の履歴書(2)父と母
野村ホールディングス名誉顧問
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姉と弟がいる。2番目の子であり長男の私は、父の定男が43歳、母のミツエが40歳の時に生まれた。父と母はいとこ同士だったので、どちらも姓は古賀。福岡県にとても多い名字だ。私も小さい頃から学校のクラスに必ず「古賀くん」や「古賀さん」がいた。学校の友達に名字で呼ばれたことがない。よく「のぶちゃん」と呼ばれていた。
3人兄弟の長男だった父は家が貧しかったため、高等小学校を出てすぐに働きに出た。家族や弟た...

世界的にも有名な大手証券グループのトップを長年勤めた古賀信行さんは、激動の金融市場を乗り切ってきました。経団連など金融・証券業界にとどまらない財界活動で新型コロナ禍に苦しむ日本経済の再生にも取り組みました。炭鉱の街、福岡県大牟田市で生まれ育ち、幼少期に激しい労働争議や炭鉱爆発事故を目の当たりにします。鹿児島市のラ・サール高校から東大に入学。就職した野村証券では人事や経営企画といった黒子役のほか、株式や債券の引き受けを経験して社内外に人脈を築きます。バランス感覚と広い知見はバブル経済崩壊後に野村証券が市場での地位を固めるのに欠かせないものでした。
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