古賀信行 私の履歴書(22)社長の覚悟
野村ホールディングス名誉顧問
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2003年(平成15年)の1月。野村証券はお客さま向けの新春セミナーを大阪で開いた。その夜、氏家純一社長にホテルの部屋に呼ばれ、告げられた。
「次の社長をお願いしたい」
私は聞き返した。
「なぜ、私なのですか。氏家さんが良いと思ったからだけですか」
最高経営責任者(CEO)になるのは覚悟が要る。私は覚悟を決める材料が欲しかったのだ。氏家さんは「取締役会に諮れば全員、賛成してくれると思う」とも言っ...

世界的にも有名な大手証券グループのトップを長年勤めた古賀信行さんは、激動の金融市場を乗り切ってきました。経団連など金融・証券業界にとどまらない財界活動で新型コロナ禍に苦しむ日本経済の再生にも取り組みました。炭鉱の街、福岡県大牟田市で生まれ育ち、幼少期に激しい労働争議や炭鉱爆発事故を目の当たりにします。鹿児島市のラ・サール高校から東大に入学。就職した野村証券では人事や経営企画といった黒子役のほか、株式や債券の引き受けを経験して社内外に人脈を築きます。バランス感覚と広い知見はバブル経済崩壊後に野村証券が市場での地位を固めるのに欠かせないものでした。