春秋(3月5日)
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「わきまえない」女性であったに違いない。多様性なる言葉が昨今のようには意識されていなかった、1950年代のことである。美術家の篠田桃紅さんはひとりで米国に渡り、水墨によるアートをニューヨークの人々に問うた。日本がようやく復興しつつあるころだ。
▼滞米2年。やがて「TOKO」の名はかの地で高まり、帰国後も「墨」の可能性を広げる創作にいそしんだ。書であり、抽象画でもある独特の作品を目にし、水墨の自由さ...
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