監督選び、競争重視で 外国人登用で球界活性化も
スポーツライター 浜田昭八

プロ野球の監督は選手のポジション争いについて、よく「競争」を口にする。だが、自身が監督というポジションに就くことに関して、競争したとは決して言わない。他人と争って監督の座につくのは「はしたない」と見られるからか。チーム内で微妙な駆け引きがあるに違いないし、ネット裏に控えるスターOBの存在も意識するだろう。
その点、外国人はおおっぴらに自分を売り込む。今季限りでDeNAの監督を辞任したアレックス・ラミレスがそうだった。現役引退前から「将来は日本で監督をやりたい」と公言していた。引退後は独立リーグ群馬のシニアディレクターやオリックスの巡回アドバイザーを歴任し、16年に念願通り「日本の1軍監督」の座に就いた。
「オレを買え」と売り込んだ西本
米大リーグでは新監督を迎えるとき、球団のゼネラルマネジャー(GM)が候補者と面談する。日本式の「お願いします」「承知しました」というやり取りと違って、ビジネスライクにことを運ぶ。そんな世界で育ったラミレスに、売り込みへの抵抗感はない。日本球界で監督として「オレを買え」と売り込んだのは、知られている限りでは、1973年に阪急監督を辞任した直後に近鉄監督に就任した西本幸雄がいるだけだ。
これも、近鉄編成部長の中島正明と西本が、立教大でチームメートだったからできた売り込みだった。西本は当時の近鉄の若手、梨田昌孝や佐々木恭介らの育成に魅力を感じていた。自身の入団条件の交渉は、極めて日本的だったと伝えられている。
ところで、DeNA監督を退陣したラミレスを、このまま「野」に留めておくのは惜しい気がする。いずれ本人が堂々と売り込みをするだろう。すでに始めているかもしれない。
選手ラミレスは2001年のヤクルトを皮切りに、巨人、DeNAで通算13年プレー。首位打者、本塁打王、打点王のタイトルを合わせて7度獲得した。巨人時代の08、09年には2年連続で最優秀選手(MVP)に選ばれた。米国、中南米、韓国、台湾出身などからの来日選手は数多いが、ラミレスは最優秀外国人選手に挙げていいほどの実績を残している。
16年から5年務めたDeNAの監督では優勝できなかった。しかし、監督初年の16年に3位だったが、チームを初めてクライマックスシリーズ(CS)へ進めた。さらに、同じく3位だった17年にはCSで阪神、広島を破って日本シリーズへ進出した。ソフトバンクに2勝4敗で敗れたが、6戦中4戦で1点差試合を展開した。

采配はデータを重視したオーソドックスなものだが、ラミレス流のユニークな手法もちりばめた。賛否両論はあったが、投手を8番に置く打順で戦い、タブー視されている複数の捕手の使い回しもした。「4番は佐野恵太」を今季の開幕前に宣言、それで貫き通したチーム活性策も光った。相手捕手の癖や配球の傾向を読むことを打者に勧めるなど、実技指導でも力量をのぞかせた。
ロッテなどでの過去の失敗が影響?
最近はスターOBの人気に寄りかかったと思われる監督起用はなくなった。だが、縁もゆかりもない外国人を監督に据えて勝負しようとする球団は少ない。外国人監督の起用に日本球界が消極的な背景に、過去の失敗があるのではないか。とりわけ1995年のロッテで生じた監督のボビー・バレンタインとGMの広岡達朗の確執が強く影響していると思われる。
大リーグ通の広岡がほれ込んで選んだバレンタインだが、友好関係は1年で破綻した。練習量が少ないことやバントを巡る考えの違いなどで衝突。指示系統の乱れやコーチ陣の入れ替え問題で、亀裂は決定的になった。外国人選手を自在に操ったヤクルト、西武監督時代の、あの強い広岡でもGMでは外国人監督に手を焼いた。
広岡、バレンタインの両者がロッテを退陣したあと、バレンタインは2004年にロッテ監督に復帰した。05年にペナントレースの勝率2位からCSで勝ち上がり、日本シリーズで阪神を下して日本一に輝いた。だが、球団との間に大小のトラブルを抱え、09年限りで退陣した。

しかし、これで外国人監督の登用をあきらめていたら球界の進歩も活性化もない。選手は元大リーガーやハングリー精神旺盛なマイナーリーグの選手らと競争している。監督もペナントレースだけでなく、その座につく段階で競争し、厳しく選別されるといい。
サッカーJリーグの外国人監督は珍しくない。大相撲でもブルガリア出身の琴欧洲が親方になって後輩を鍛えている。モンゴル出身の白鵬、鶴竜の両横綱も日本国籍を取得して指導者への準備を進めている。野球人が外国人監督との競争、登用をためらうことはない。巨人監督=ウォーレン・クロマティ、阪神監督=ランディ・バースの巨神戦などを見てみたい。
(敬称略)