米国野球殿堂投票、1票の重み実感 イチローは25年有力
スポーツライター 丹羽政善

Ichiro Suzuki (イチロー、マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)の名前が、米野球殿堂入りの投票用紙に載るのは引退から5年後なので、2024年11月。そして翌年1月に投票結果がわかる。
気の早い話だが、大リーグの公式ページが先日、向こう5年間で殿堂入りしそうな選手の特集を組み、イチローについて「間違いない」と"確定"予想した。あとは、どの程度の得票率になるか。過去、100%の得票率を獲得したのは19年のマリアノ・リベラ(ヤンキース)ただひとりだが、続いても不思議はない。
その後、おそらく日本人選手で続くとしたら、大谷翔平(エンゼルス)か。二刀流という歴史に残る偉業をすでに達成しており、彼もまたいずれ、選出されるかどうかではなく、得票率が話題になるはずだ。
ところで、例年1月にそうした米野球殿堂入り絡みの話題が野球界を独占するのはそれだけ権威があるからだが、1票の重みもその分、ずっしりと重い。1月24日、今年はフィリーズなどでプレーしたスコット・ローレンのみが記者投票によって選ばれたが、筆者が投票したのは、その前日のこと。本来、投票締め切りは12月31日の消印有効で、諸事情によりぎりぎりになったのだが、1票たりとも無駄にしないという執念に、それが透けた。

通常、有資格者のリストが発表されるのが11月終わり。12月に入ってから、投票資格を持つ記者のもとに投票用紙が送られてくる。発送日は同じでも、住んでいる場所によってもちろん、配達される日は異なる。ただ、投票をすませた記者がツィッターなどで公開をはじめるので、そろそろだな、とわかる。
ところが今年は、待てど暮らせど、投票用紙が届かない。これはさすがにおかしいと、米野球殿堂博物館の広報を務めるジョン・シェスタコフスキーさんに連絡をすると、「紛失の可能性がある」とのこと。「毎年、少なからずあるから」
そのやり取り自体、クリスマス休暇を挟んだので時間的なロスが生まれた。締め切りが迫り、オンライン投票は可能か? と尋ねたのは12月26日のこと。しかし、「それには対応していないから、再送する」。全米野球記者協会、米野球殿堂博物館、コミッショナー事務局の3者が承認作業を行うが、原則として通し番号のついた実際の投票用紙と、直筆のサインが必要だという。同じ全米野球記者協会に所属する記者が投票する最優秀選手(MVP)やサイ・ヤング賞などは、すでにオンライン投票に切り替わったが、変わらないものもある。
ただ米野球殿堂博物館があるニューヨーク州のクーパーズタウンから筆者の住むシアトルへ再送するとなると、1週間前後かかる。その場合、年内に届くかどうか。どうするのかと思ったら、「FedExで送るから、改めて住所を教えてくれないか」。FedExを使うとなると、それなりに費用がかかる。というか、かなりかかる。「わざわざいいのか?」と恐縮して確認すると、「もちろんだ」。たった1票のためにそこまでするというのは、初めて知った。
背景には、全米野球記者協会に所属する記者らが、その権利を大切に引き継ぎ、守ってきた歴史がある。いまや、彼らのアイデンティティーといってもいい。

ただ、歴史をひも解くと、決して彼らの働きで米野球殿堂が誕生したわけではない。1936年に初めての記者投票が行われ、3年後に博物館が完成したが、野球発祥の地とされるクーパーズタウン出身のステファン・C・クラークというビジネスマンが、元記者で当時ナ・リーグの会長だったフォード・フリックに働きかけて実現したものだ。野球の歴史を継承するという大義名分を掲げつつも、発想の原点は地元に観光産業をつくるためだったというから、ビジネスでもあった。
全米野球記者協会そのものは当時、1908年につくられた一種の労働組合にすぎず、クラブハウスでの取材機会を設けるよう大リーグ機構と交渉したり、記者席の設置を求めたりするなど労働環境の改善が主な役割だった。それはいまもそうで、1931年からMVPを全米野球記者協会所属の記者が選んでいるが、それすらも彼らの発案ではなく、1910年にチャルマーズ自動車が、首位打者に車を送ったことが様々な賞の起源とされる。
とはいえその後、米野球殿堂も各賞も彼らが、長い時間をかけて権威づけしてきた。唯一無二なものとして。
もっとも、最近はややそれが行き過ぎ、ニューヨーク・タイムズ紙、ロサンゼルス・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙などは、記者が殿堂入りの投票などを行うことを禁じている。選手が殿堂入りし、サインボールに「HOF(Hall Of Fame)」と入れるだけで、価値が上がる。いや、上がりすぎる。選手が契約に「MVP獲得で、ボーナスがいくらいくら」といった条項を入れることが一般になり、そうしたことに加担することの是非も問われて久しい。
1989年から投票を禁じたニューヨーク・タイムズ紙は、「ジャーナリストは伝えることが仕事であり、提供する側ではない」とのスタンスだ。

それでもやはりそうした投票は特別な資格であり、特に米野球殿堂の投票は、全米野球記者協会に所属し、10年が経たないと投票資格を得られず、それは、選手が殿堂入り資格を得る年数と同じである。当然ながらその分、神経を使う。基本的には誰が誰に投票した、ということが公開されるので、説明責任が生じる。なぜ、投票したのか。問い合わせがあれば、必ず意図を説明しなければならない。
ただ、そんな1票だからこそ、投票する側もそれをまとめる米野球殿堂側も、票を無駄にできない。過去、1票では明暗が割れたことはないが、2票差で当落が決まったことはある。
さて、クリスマス明けにFedExで発送された投票用紙だが、その頃、米中西部から東部にかけてすさまじい寒波が襲い、物流が大打撃を受けた。結果、年内に届く予定だった投票用紙が手元に来たのは1月6日のこと。再度シェスタコフスキーさんに連絡をすると、そのままポストに投函(とうかん)してくれれば間に合うとのことだったので指示通りにしたが、19日になってもまだ届かないとの連絡。一人ひとりの投票を、そうして気にかけてくれることにも驚いたが、さすがに10日過ぎても届かないのはおかしい。
また、紛失か? 改めて相談すると、「さすがにもう郵送のやり取りでは間に合わないので、こうしよう」と提案された。特別な番号をつけた投票用紙をメールに添付するので、それを印刷し、投票したらそれをスキャンして、メールで送り返してくれ――。20日午後にその投票用紙が届き、その通りに投票してメールすると、すぐに「受け取った」との返信があった。「週明け、23日の朝一で承認作業を行い、票に加える」と書き添えられていた。
かくして綱渡りのような投票が無事に終わったが、ここまで1票が大切にされるとは。改めて、身の引き締まる思いだった。