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1964年の聖火台、国立競技場前でひっそりと五輪見守る

東京五輪が開催される7月になった。23日に国立競技場で実施する開会式のハイライトは聖火リレーの最終ランナーによる聖火台への点火だ。その場面の演出や、どんな聖火台が登場するのかは当日まで極秘という。1964年大会の聖火台は競技場の門前で新旧交代の瞬間を待つ。旧聖火台の制作を手伝った関係者は「新しい聖火台も楽しみだ」と話す。

前回大会の聖火台は2019年11月に完成した国立競技場の東側にあるGゲート(青山門)の前にある。ただ、国立競技場は開会式を目前に控え「オリンピックスタジアム」仕様になっている。周りを取り巻く「オーバーレイ工事」の仮囲い、さらには交通規制のためのセキュリティーフェンスに阻まれ、外側から見ることはできない(写真・映像は仮囲い前の撮影)。

「鋳物の街」で生まれた

旧国立競技場の解体に伴い、聖火台は東日本大震災からの復興を目指す宮城県石巻市の要請を受け、15年に同市へ貸し出され、展示された。その後も東北の被災地を巡回し、19年には聖火台を造った埼玉県川口市に「里帰り」した。かつて鋳物産業で栄えた「鋳物の街」。多くの市民が歓迎した。

特別な思いでその聖火台と対面したのが、川口鋳金工芸研究会の講師を務める鈴木昭重さん(86)だ。製造したのは父・萬之助さんと、兄・文吾さん。2人とも他界しているが、鋳物職人の昭重さんは「聖火台には、おやじたちの職人魂がこもっている」と話す。以前は旧国立競技場に通い、ごま油を使って磨く聖火台の保守作業を続けていた。

父と兄が手掛けた聖火台の思い出を語る鈴木昭重さん(埼玉県川口市)

聖火台誕生の物語は地元ではよく知られている。1958年の第3回アジア大会のため旧国立競技場に聖火台を設置することが決まり、聖火台の鋳造を萬之助さんが引き受け、文吾さんと取り組んだ。しかし、高さと最大直径が2.1メートルという鋳物としては巨大な作品。ドロドロに溶けた鋳鉄を鋳型に流し込む「湯入れ」の作業中に鋳型が爆発し、鋳鉄が漏れ出すアクシデントが発生した。そのショックによる心労で萬之助さんは倒れ、急逝してしまった。

納期が迫るなか、遺志を継いだ文吾さんは昭重さんら兄弟や仲間に助けられながら作業を続け、2度目の湯入れを成功させて聖火台を造り上げた。「川口の鋳物職人が皆、協力してできたものだ」。今も川口鋳金工芸研究会で技術の伝承に力を尽くす昭重さんが強調する。

研究会の拠点となっている鋳物工場に近い青木町公園の一角には、聖火台のレプリカがある。昭重さんによると、これは萬之助さんと文吾さんが最初に手掛けた聖火台だ。湯入れの失敗で鋳鉄が漏れ出した部分は修理してあるという。川口市内の聖火リレーは新型コロナウイルスの影響で中止になったが、第1走者の予定だった昭重さんは6日、この聖火台前で開かれる記念式典に参加する。

公開は2020大会終了後

聖火台を所有する日本スポーツ振興センター(JSC)によると、聖火台は20年6月、国立競技場前に戻ってきた。だが、一般公開はしていない。東京五輪・パラリンピック大会組織委員会による仮囲いに遮られた状態が続いている。仮囲いの撤去は東京パラリンピックの終了後という。

23日の開会式では新しい聖火台が登場する。昭重さんは「新しい聖火台に火がつけば新しい時代の誇りになるだろう」と話す。前回大会の聖火台は仮囲いの中からひっそりと東京五輪・パラリンピックを見届ける。

(山根昭、近藤康介)

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