サッカーは欧州・南米だけでない 時代は変わりつつある
サッカージャーナリスト 大住良之

ワールドカップ(W杯)カタール大会決勝は、何という試合だったろうか。
フランスを圧倒したアルゼンチンが前半だけで2点を奪い、後半もそのペースは変わらない。フランスがこの試合初シュートを打った時は、68分もたっていた。
アルゼンチンは今大会で最高のパフォーマンスを見せた。中盤のフェルナンデス、マカリテル、デパウルが驚異的な運動量と集中力、デュエル(1対1での戦い)の強さを見せ、フランス選手たちに息つくひまも与えなかった。決勝戦前に体調不良の選手を何人も出したフランスは、信じ難いほどに何もできなかった。

ケガから復帰したディマリアをアルゼンチンが左に置いたことも、フランスの意表をついた。立ち上がりからメッシがディマリアに好パスを連発し、ディマリアの左足から放たれるクロスからアルゼンチンが何回も決定的なチャンスをつかんだ。
先制点はディマリアが得たPKをメッシが決め、36分の2点目は右サイドをカウンターで突破し、マカリテルが左に流したところを外から走り込んできたディマリアがワンタッチで流し込んだ。
65分ごろから流れが変わったのは、ディマリアを交代させたことも一因かもしれない。その直後にフランスは41分に続く2回目の〝2枚替え〟を行い、生きのいい選手が前線に並んだ。まず強引に突破しようとして相手のファウルを誘いPK。そしてチュラムとのパス交換でエムバペが左から強烈なシュートを決め、フランスが追いついてしまった。

両チームの10番、アルゼンチンは35歳のメッシ、フランスは24歳のエムバペと、世界を代表する新旧トップスターがそれぞれ2点、3点を記録。延長後半のはじめにメッシがこぼれ球を決めてアルゼンチンが先行すると、残り2分というところでPKを得たエムバペが決めて3-3に追いついた。
それに続くPK戦を含め、このうえなくドラマチックなフィナーレだった。恐らく世界中の多くの人がサッカーの面白さを再認識し、時間がたつのも忘れて試合にのめり込んでいったのではないか。表彰式は待たせすぎで、アルゼンチンGKの度し難い悪ふざけ(国際サッカー連盟=FIFA=は厳重に処分すべきだ)もあったけれど……。
欧州のシーズン終了後の6~7月開催という1930年から続いてきた慣例を破る初めての11~12月開催、初めての中東での大会、1930年ウルグアイ大会以来の「実質1都市開催」など、話題は多かった。宿泊問題を除けば大会運営は非常に見事で、大会関連スタッフやボランティアの笑顔と親切と礼儀正しさが大会のイメージを極めて明るいものとした。スタジアムやインフラ整備のために6000人もの労働者の命が奪われたという欧米の報道(カタールとFIFAははるかに少ない数字をあげている)もあり、これから負の側面がよりクローズアップされるかもしれないが。

サッカーの面では、時代が変わろうとしていることを強く感じた。これまでのW杯では〝絶対〟だった欧州と南米の牙城を、アフリカ、アジア、中北米といった〝後進地域〟が真剣に脅かし始めた大会として記憶に残ることだろう。そのシンボルは1次リーグでベルギーを蹴落とし、決勝トーナメントではスペイン、ポルトガルを撃破してアフリカ勢初の準決勝に進んだモロッコだ。
だがモロッコだけではない。大会3日目にサウジアラビアがアルゼンチンに見事な逆転勝ちを収めた。米国はイングランドに引き分け、韓国はポルトガルから劇的な勝利をもぎとり決勝トーナメントに進出した。欧州や南米の強豪に立ち向かって結果を出したチームがいくつもあったし、アジアから3チーム(オーストラリア、日本、韓国)がグループを突破したのも初めてだった。
最大の「ジャイアントキラー(大物食い)」は日本だった。1次リーグでドイツとスペインにともに2-1で逆転勝ち。森保一監督の采配に選手たちが応え、善戦にとどまらない活躍を見せたのは、世界的にも高く評価されている。
日本にとって、「W杯ベスト8」は本当に現実的な目標となった。前回2018年ロシア大会では、決勝トーナメント1回戦で優勝候補のベルギーに2点を先行したことに、日本代表自らが驚いてしまっていた。今回は、「どんな結果でも起こせる」ことを選手たちも確信した。少なくとも、心理的な「壁」は、今回で完全に打破された。

「ドーハは、『悲劇』の地ではなく、『歓喜』の地になりましたか」という問いに、
「そう思います」。
森保監督ははっきり答えた。
世界のサッカーは変動の時代にはいった。その旗を振り、日本は世界の頂点への歩みを加速させなければならない。