より生活を豊かに 尊敬できる医者との幸せな関係

30年以上前になる。大好きだった祖父がかかりつけの医院で点滴中に突然、亡くなった。大きなショックを受けていると医師から「(私の)言うことを聞かなかったからね」と、どこか冷たく感じる言葉を投げかけられ、一層つらくなった。
祖父は頑固で、その医師とはそりが合わず、互いにわだかまりもあったのだろう。そして祖父は私たちにはかけがえのない肉親であるけれど、医師側にしてみれば、多くの患者のうちの一人にすぎず、やむを得ない面もあったかもしれない。ただ、いまだにその医院を見ると、医師の言葉を思い出して寂しい気持ちになる。
実は子供の頃から病院に行くのが苦手だった。医者には冷たい面があると子どもながらに感じていた気もする。さらに医師の数が少ない地方においては、「お医者さん」は「先生」と呼ばれ、医師には誰も逆らえないという風潮だったと思う。
高校時代の成績上位者は、大学の医学部を目指すという暗黙の了解があり、偏差値でつくられた序列のままに医学部を選択していた者もいた。私は学業の成績不振が常だったから、ますます医師志望者は別世界の人なのだという劣等感にも似た気持ちを抱いていた。
だが、のちに数人の医師との出会いを通じて、見方が変わった。一人はいまや兄のように慕う医師の友人。医師でありミュージシャン、そして同じランナーでもある彼と初めて会った際の第一印象は、独特の風貌で自分とは性格が合わないかも、というものだった。
彼は自分を取り巻く人々の体や心の不安に対して常に親身になってくれる。情熱家で、何ごとにも全力だ。つい自分の体調の話だけでなく、精神的な悩みも打ち明けてしまったとしても丁寧に話を聞いてくれる。
4年間におよんだアキレスけんのけがを診てくれた主治医との出会いも大きかった。
著名で忙しい医師なのに、毎回の診療の狙いや治療の意図を丁寧に説明してくれる。そのやさしい言葉と笑顔に何度も救われた思いになり、競技生活への不安にさいなまれた日々の心の支えとなった。
けがの悩みを打ち明ける個人的なメールにも親切に返してくれる。受診後は、自分もこのように他人から慕われる存在になりたいと力がわいてきた。
彼らとの出会いを通して、医師が社会にどれほど良い影響を与えているのかがわかる。その仕事の尊さもあらためて理解することとなった。医師という職業は、その役割の重大さと責任感の高さから、一種おごりに近い気持ちを持ちやすい面があるかもしれない。ただ、その職責の重さがあるからその人自身の潜在的な正義感や優しさを引き出しているとみることもできる。
新型コロナウイルス禍で、社会の中で医師が果たす役割の大きさを再認識した。「小医は病を治し、中医は人を治し、大医は国を治す」という。住民が幸せな生活を送る地域には、医師の存在は不可欠。私の人生も尊敬できる医師との出会いがあってこそ豊かなものになった。
(プロトレイルランナー)