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東京・築地、五輪後は視界不良 コロナ禍にも翻弄

東京都が新型コロナウイルスワクチンの大規模接種会場を設置したことで注目された築地市場跡地(東京・中央)。市場機能が移転した後、東京五輪・パラリンピックの車両基地として準備してきており、7月からは東京大会に向けて本格稼働する。都心に残る広大な敷地のため注目度の高い築地だが、実は大会後の街づくりは定まっていない。コロナ禍の影響もあり、先行きは不透明だ。

車両基地「築地デポ」の道沿いには白い仮囲いが巡らされている。その正門はかつて築地市場の正門があった場所と同じだ。「市場の解体工事後、ゲートは閉じられ、時間が止まったように静まりかえっていたのに、急に車の往来が増え、慌ただしくなった」。近隣の住民はワクチン接種が急ピッチで進む市場跡地の風景に目を丸くする。

都は6月末まで、接種会場「築地ワクチン接種センター」で1日に最大5000人の接種を目指す。対象の警視庁や東京消防庁の職員は都民の日々の生活だけではなく、東京大会の安全・安心な運営でも重要な存在。都のオリンピック・パラリンピック準備局によると、大会に関わる一部の都庁職員、大会組織委員会スタッフらも、ここで接種するという。

センター周辺は築地市場の「魚がし横丁」があった場所。すし、海鮮丼などの飲食店が軒を連ね、海外からの観光客も集まるにぎわいの中心地だった。魚がし横丁の奥にあった、魚のプロたちが働いていた水産物部仲卸業者売場は大会期間中、車両基地のバス駐車スペースになる予定だ。

築地市場跡地はオリンピックスタジアムの国立競技場がある神宮外苑エリアと、体操やテニスなどの競技会場が集積する有明エリアのほぼ中間に位置する。その立地から東京大会では選手や大会関係者の輸送を担う拠点となる。ただワクチン接種会場も車両基地も、2018年秋に豊洲市場へ市場機能を移転した後の暫定利用にすぎない。

築地市場跡地には東京五輪・パラリンピックの輸送を担う大会用車両が集まっている(東京都中央区)

東京ドーム5個分に相当する約23ヘクタールの跡地を巡る街づくりはどうなるのか。

都が19年に公表した「築地まちづくり方針」によると、市場跡地の中心部は「交流促進ゾーン」として「都民に開かれた舞台ともなる大規模集客・交流施設」が整備されるという。不明瞭な書きぶりだが、都の資料には楕円形の図が描かれているため、不動産業界では「民間資金を導入して大規模な新球場を整備することが想定されているのではないか」といった噂が飛び交ったこともある。

交流促進ゾーンの西側には国際会議場やホテルを建設、東側には新たな地下鉄の駅などの交通ターミナル機能を整備する。隅田川沿いの「水辺の顔づくりゾーン」には、船着き場、広場、レストランなどを配置する。船着き場周辺の再開発は先行整備事業として、20年に事業者を募集し、22年10月をめどに着工する考えだった。

だが、このスケジュールはいきなり頓挫した。コロナ禍で東京大会が1年延期となり「事業の早期着手が困難となった」(都市づくり政策部)と判断されたのだ。都はスケジュールを見直し、21年度中に築地まちづくり方針を具体化する「実施方針」を取りまとめ、22年度に跡地全体の再開発を担う事業者を募集する考えだ。

都心の広大な再開発エリアだけに、不動産デベロッパーの関心は高い。市場跡地に隣接する「築地場外市場」内でホテルの建設計画を進めるトーセイは「将来、インバウンド需要が回復すると想定すれば、期待値は高い」と市場跡地のポテンシャルに注目する。地下鉄駅、船着き場などの交通インフラが整備されることも視野に入れ、宴会場などを備えたラグジュアリー(高級)タイプの都市型ホテルを23年に開業する予定だ。

都の計画が多少ずれ込んでも、それは織り込み済みという。もともと「埋蔵文化財調査に手間取れば、再開発の具体化はずれ込むだろう」(デベロッパー大手幹部)とみられていたためだ。想定されている文化財は「浴恩園」という江戸時代の庭園。築地は時代の変化とともに、めまぐるしく変貌しており、浴恩園の詳しい調査は実施されないまま現在に至っている。

そして築地は今、五輪・パラとコロナ禍が交錯する場所となっている。市場の移転完了から2年半が過ぎても、再開発の事業者を募集するスタート地点にすら到達していない状態だが、立地や知名度などから、さらに求心力のある街になる可能性は高い。築地の再開発は東京大会後の都市再生の行方を占う巨大プロジェクトとして、今後も目が離せない。

様々に変貌してきた築地


築地の歴史は、江戸時代の明暦の大火(1657年)が起点とされる。がれきを処理するために埋め立て地が生まれ、武家地になった。寛政の改革を主導した老中の松平定信が1792年に築いたのが浴恩園。池や築山を配して風光明媚(めいび)な景色が広がっていたと伝えられる。

幕末になると、幕府の軍艦操練所が整備された。その跡地には、日本初の本格的な西洋式ホテルとされる「築地ホテル館」が建設され、外国人居留地としての街づくりが進んだ。明治期には海軍省があり、かつての浴恩園の築山には海軍の旗が掲揚されていた。海軍の街だった歴史は築地ホテル館跡近くにある「海軍経理学校の碑」などから振り返ることができる。

1923年の関東大震災で日本橋魚河岸が被災。築地の一部を海軍省から借りる形で暫定的な魚市場が設置された後、35年に魚介や青果を扱う築地市場が開設された。その後83年もの間、世界最大級の魚市場を抱え「日本の台所」としての役目を担った。老朽化した市場の移転が検討される経緯の中では、ブラジル・リオデジャネイロなどと競った2016年五輪の招致でメディアセンターを設置する構想もあった。

(山根昭、近藤康介)

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