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ケンタッキーダービー 現地初観戦の思い出

日本ダービー(東京優駿=東京競馬場、GⅠ)が5月29日に迫った。ダービーは全ての競馬関係者の目標、ファンにとっての一大イベントだ。新型コロナウイルス禍も少し落ち着き、今年は7万人前後の観衆が入場可能となり、初夏の府中を盛り上げるはずだ。

北米競馬界最大のイベントもダービーである。毎年5月の第1土曜日にケンタッキー州ルイビルのチャーチルダウンズ競馬場で行われるケンタッキーダービーには、コロナ禍に見舞われた2020、21年は例外だが、毎年15万人近い観衆が集まる。これほどの観客を集めるレースは他にない。前年からチケットを予約するファンも多いという。

日本調教馬で初めてケンタッキーダービーに挑戦したのは、1995年のスキーキャプテン。当時26歳で、トップジョッキーとしての地位を名実共に確立していた武豊騎手とのコンビで臨んだ。

このレースを現地で観戦した。当時、パソコン通信サービス「NIFTY-Serve」の競馬フォーラム(掲示板)で知り合い、ネット上だけでなく競馬場にも集まって楽しんでいた仲間たちの間で、観戦旅行のプランが持ち上がった。色々と情報を交換しながらプランは一気に具体化。世界的種牡馬が数多く暮らす米国馬産業の中心地ケンタッキー州レキシントンに宿を取り、牧場見学と競馬観戦を組み合わせた旅となった。

当時は、国内外で競馬観戦を目的にしたパックツアーが盛んだった。出発の日、成田空港の手荷物検査場で、数年前に新潟競馬場で知り合った友人と久しぶりに再会し、デトロイトでの入国手続きと飛行機乗り継ぎの際は、観戦ツアーに同行していた野平祐二調教師(故人)を見つけてご挨拶もした。

ケンタッキーダービーは初夏の訪れを告げるお祭りだ。レキシントン到着の日は、冬の冷たい空気と夏の暖かい空気がせめぎ合い、雷を伴った夕立も襲った。レース前の2日は牧場巡りなど馬三昧の日々。牧場見学では、日本の常識では考えられない広大な放牧地にまず驚かされた。有力種牡馬を何頭も抱えるクレイボーンファームのガイドツアーには、平日にもかかわらず多くの人々が参加。帰り際に見た伝説の三冠馬セクレタリアトの墓には、数々の赤いバラが供えられていた。牧場見学の合間にケンタッキーホースパークで繫養(けいよう)されているジョンヘンリーやフォアゴーなど、歴史的名馬の厩舎やホースショーを見学。朝はキーンランド競馬場で調教を見学し、夜にはナイターで行われるレッドマイルと呼ばれるハーネス(繫駕=けいが=速歩)の競馬場でレースを楽しんだ。

内馬場はお祭り騒ぎ

レース当日。レキシントンの宿舎をレンタカーで出発したのは午前6時半すぎ。夏時間が始まっている米国東部標準時の西端ケンタッキー州の朝は雲が出ていたこともあり、まだ薄暗かった。西へ100キロ余り離れたルイビルまで、インターステートと呼ばれる幹線道路を走る。街の外周道路を南下してルイビル国際空港の反対側、街の中心に向かい、渋滞の中をノロノロ進むと、沿道の住民が声をかけてきた。この日は近くの住宅の芝生が臨時の有料駐車場に早変わりする。競馬場近くの民家の庭に車を止めさせてもらい、徒歩で入場門へ。競馬場の沿道にはTシャツや雑貨を売る露店が出ていた。

開門は午前9時。日本の競馬場ほどではないが、かなりの入場待ちの行列ができていた。入場門をくぐり、レーシングプログラムを購入して地下トンネルをくぐり内馬場へ。入場券しか持たない観客の一番の観戦場所は内馬場だ。向正面中間のコース外側に設置された小さなビジョンが見える場所にビニールシートを敷いて陣取った。内馬場にはケンタッキーダービー名物のカクテル「ミントジュレップ」を提供する店や、軽食や雑貨を売る臨時の売店が開店。チキンバーベキューサンドの売り子の女性は、どう見ても地元の高校生アルバイトだった。

出走取り消し、騎手変更などの案内放送が流れている間に、内馬場のスペースはどんどん人で埋まってにぎやかさを増す。上空を覆っていた薄い雲は徐々に切れ、日差しがまぶしくなってきた。ミントジュレップの売店の行列も長くなる。酒類持ち込み禁止のルールを知らずに持参した缶ビールは、幸い入り口でのチェックに引っ掛からず、取りあえずみんなで乾杯した後、ミントジュレップの行列に並んだ。隣にいた白人のグループは、清涼飲料水の大型ペットボトルに仕込んであったテキーラを豪快にラッパ飲みしていた。

レースが始まると、目の前を馬群が通過する際は歓声が上がるが、時間が進むとレースそっちのけで歌ったり踊ったりする人たちが増えてくる。まさにお祭り騒ぎ。内馬場とコースを隔てる金網の先、芝コースとの間にある緊急車両用の道路を、両手に手錠をはめられた男性が通過するのを何度か見た。酔っ払って暴れたのか。前日訪れた牧場の女性秘書に「ダービーはどこで観戦するの?」と尋ねられ、「内馬場」と答えると「信じられない! 日に焼けるし、酔っ払いばかりじゃないの!」とあきれ顔で言われたが、全くその通りだった。

いよいよケンタッキーダービーの時間。パドックで鞍(くら)を装着し、騎手を乗せた馬が馬場に登場するとケンタッキー州歌「My Old Kentucky Home(ケンタッキーの我が家)」が演奏される。みんなで歌えるよう、レーシングプログラムに歌詞が掲載されているが、宴たけなわの内馬場ではほとんど誰も歌っていない。

レースはあっという間に

しばらくして、ゲートが開いた。プログラムを見るとスキーキャプテン以外に赤の帽子の馬はいない様子で、目の前を通過する馬群に赤い帽子を探したが、見当たらなかった。プログラムの記載は日本で走った時の映像から想像で作製したらしい。内馬場ではレースの様子は、あっという間に目の前を通過する馬群と、小さなビジョンに映る映像でしか確認できないし、場内アナウンスも歓声で聞き取れないから、何が起きているかさっぱりわからない。結局、14着でゴールしたスキーキャプテンがどんなレースをしたのかは、帰国後にビデオを見て確認することになった。

勝ったのは同年、有力馬3頭を出走させたダレル・ウェイン・ルーカス調教師の管理するサンダーガルチ。同調教師は27年後の2022年、86歳でダービー前日のケンタッキーオークスを優勝することになる。

翌96年は取材証を申請し、貴賓席や記者室などを除くスタンド内(クラブハウスエリア)に入ることができた。3度目の97年は取材証がグレードアップして、プレスボックス(記者室)で観戦。初めてレースの全容を肉眼でしっかり見ることができた。それぞれ新たな発見があったが、それは別の機会に触れたい。

スキーキャプテンの挑戦から27年がたった。その後途絶えていた日本馬のケンタッキーダービー挑戦は16年ラニ(9着)、19年マスターフェンサー(6着)と続き、今年はクラウンプライドが、結果こそ13着だったが、果敢に先行して大いにファンを沸かせた。日本の馬が北米競馬最大のお祭りで栄冠を勝ち取る日は、意外に早く訪れるかもしれない。

(ラジオNIKKEIアナウンサー 佐藤泉)

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