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SNS活用のスポーツ選手、現実世界の会見も出よう

スポーツコメンテーター フローラン・ダバディ

全仏オープンの男子シングルス決勝後、健闘をたたえ合う優勝したジョコビッチ㊨とチチパス=AP

WOWOWの現地リポーターを務めた全仏オープンテニスが幕を閉じた。昨年は異例の秋開催だった。満員とはいかないまでも活気を取り戻した初夏のローランギャロスに、日常が帰ってきたことを感じた。

15日間を通じ、様々なドラマが生まれた。クライマックスは男子シングルスの終盤戦だ。準決勝では世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)が5連覇を狙った赤土の王者ラファエル・ナダル(スペイン)から歴史的な勝利を収めた。四大大会初めての決勝戦で、精密機械のようなジョコビッチを苦しめたステファノス・チチパス(ギリシャ)の果敢なプレーにも胸を打たれた。

「メンタルヘルス」を理由にした大坂なおみ(日清食品)の途中棄権は現地でも大きな衝撃だった。ファンの落胆はもちろん、本人、大会主催者、マスコミといった関係者の相互理解が不十分なまま騒ぎがエスカレートし、後味の悪い結末になってしまった。

記者会見を拒否して罰金を科された後、うつの症状を告白して2回戦を前に大会を去った大坂を見て、僕は「ハイチ革命」を思い出した。18世紀末から19世紀初頭にかけてフランスの植民地で起きた反乱は、世界で初めてアフリカ系住民の解放をもたらした。大坂は父方のルーツをハイチにもつ。「奴隷状態」にある選手の解放を求めた姿が、ナポレオン・ボナパルトのフランス(ローランギャロス)に反旗を翻したハイチに重なったのだ。

女子シングルス1回戦の大坂。この後、2回戦を前に棄権した=AP

しかし、彼女の企ては失敗に終わった。ハイチ革命では指導者トゥーサン・ルーヴェルチュールの下に多士済々の参謀が集結したが、大坂の戦いは孤独だった。女子シングルス世界1位のアシュリー・バーティ(オーストラリア)や重鎮のセリーナ・ウィリアムズ(米国)に共闘を呼びかけることもなく、強大な相手にひとりで立ち向かい、散った。「レ・ミゼラブル」のアンジョルラスのように。

しかし今回の件に関しては、大坂が前もって選手仲間に決起を促したとしても、賛同を得るのは難しかったかもしれない。なぜならローランギャロス(フランステニス連盟)や女子ツアーを統括する女子テニス協会(WTA)は、宗主国フランスのような抑圧的な支配者ではないからだ。

むしろフランスのテニス界は、かつて支配下にあったカメルーン系のヤニック・ノアが国民的スターになったことからもわかる通り、風通しのいい組織である。大坂がSNSを通じて唐突に会見拒否を表明する代わりに真摯に相談していれば、聞く耳を持って対応したのではないか。

この件について、ウィンブルドン女子シングルスで優勝経験を持つフランスのマリオン・バルトリと話す機会があった。彼女は「選手が精神的な負担について語ること自体は悪くない。でもその手順や方法について、適切なアドバイスをできる人が周りにいなかったのかしら?」と疑問を呈した。瞬く間にスターになった若い大坂の周りに、ざっくばらんな助言ができる良識ある大人がいないのだろうかという危惧だ。

バルトリは22歳だった2007年のウィンブルドン決勝を振り返り「とてつもない重圧を感じた。観客やスポンサーなど他人のためにだけプレーしている感覚で、全く楽しめなかった」と言う。18年の全米オープン初優勝以来、大坂が感じてきたという「うつ」も、この延長線上にあるのかもしれない。イエスマンに囲まれてチヤホヤはされても、心を許せる人が見当たらず、大好きだったはずのテニスも楽しめない。これほど悲しいことはない。

ローランギャロスで解説していた別の元選手にも意見を聞いた。彼女は「テニス選手が恵まれた立場にいることを忘れてはいけない。世界中を旅して、多くのファンの前でプレーをし、お金もたくさんもらえる。自分や取り巻きだけの狭い世界に閉じこもることなく、広い視野で物事を考えてほしい」と話していた。

大坂はツイッターで全仏オープンの棄権を表明。最近はSNSを活用する選手が多い

大坂を含め、最近の選手が活用するSNSの問題は、使い方次第で、現実の自分とアカウント上の自分の境界が曖昧になっていくことだと思う。セルフイメージに一致する投稿を繰り返すうちに、アカウント上の自分がキャラクター化し、フィクションに近づいていく。

映画のようなフィクションの世界では、俳優はむやみに素の自分をさらすより、秘密めいたところがあったり、キャラクターぽいところがあったりするのもいいかもしれない。しかしスポーツは現実の世界だ。生身の人間が超人的なパフォーマンスを繰り広げるところに魅力がある。だから選手は、現実の世界にとどまっていなければならない。ハリウッドに近いビバリーヒルズに住む大坂だが、映画とスポーツの世界にれっきとした境界線があることは忘れないでほしい。

記者会見は外の世界との交流の場だ。ときに厳しい質問や批判にさらされても、記者は敵ではない。多くの会見では建設的な質疑応答が交わされ、メディアという第三者を通じて選手の素顔や考えが伝えられる。大坂にはぜひその場に戻ってきてほしい。彼女のようなケースでは質問を事前に受け付けて選手の精神的な負担を減らすなど、大会側にもできる努力はあるだろう。

「レ・ミゼラブル」の著者ヴィクトル・ユゴーは「地上には白人も黒人もない。精神だけがあるのだ」と語り、ハイチの奴隷制を非難した。ローランギャロスは選手を奴隷扱いする横暴な支配者ではない。最近は毎年のように新しい優勝者が生まれており、大坂にもいずれチャンスが来るはずだ。24年のパリ五輪もローランギャロスが会場になる。ハイチ革命終結から220年という節目に、ハイチにルーツをもつ日本人がフランスでメダルをもらう姿も見てみたい。

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