/

ランニングを脳と神経科学から捉え直す

ランニングインストラクター 斉藤太郎

ランニングでは平衡感覚を感知する前庭感覚からの入力が最も重要となる

正しい姿勢で10秒間、片足立ちができますか? 無駄な力を使わずにリラックスしてできる人はそう多くないと思います。ほかにも、階段を速やかに下りられない、スキップで同じ方の腕と脚が前に出てしまう、給水を取り損ねる、折り返しが苦手、などなど、思うようにできないことは少なくないでしょう。それでも私たちの体は走ることができます。

今回は「トータルニューロコンディショニング(TNC)」を提唱する江口典秀トレーナーの考え方を紹介させていただきます。TNCとは、神経科学を応用し脳の状態を適切に保つ考え方で、私も現在勉強中の身です。

運動することを神経科学的に捉えると、まず「情報の入力」があり、脳が適切に「情報処理」をして、「運動出力」をするという流れを取っているようです。

ランナーをはじめスポーツに携わる多くの方は、筋力強化、スピードや持久力の向上などを目的としてあらゆる練習に取り組みますが、これらのアプローチは「運動出力」の向上を目的とした領域と捉えることができます。しかし、これだけでは解決できないことが少なくなく、真面目に取り組んでいても違和感を覚えたり、故障を繰り返したりする方が多くいるのが現状です。

情報入力、情報処理に目を向ける

一方で「情報の入力」や脳の「情報処理」機能のアプローチにも目を向けると、こうした事象の解決のきっかけが眠っていることが多いです。

加齢に伴う体力低下と上手に付き合いながら、走力を保ち、美しいフォームで走り続けたい方は、入力側の領域にも目を向けてみてください。

体操競技やサーカスなど高度でアクロバチックな身体動作はもちろんのこと、ランニングや歩行時にも脳は高度な入力と処理を通して出力を行っています。

ランニングにおいては、重力に抗して身体を移動させるため、常にバランスを取りながら安定した姿勢で立つのに平衡感覚を感知するセンサー(前庭感覚)からの入力が最も重要です。

平たんで安定した路面ばかりを走っている方、主にトレッドミルで走っている方、イヤホンで聴覚情報や平衡感覚をつかさどる耳を塞いで走ることが多い方は、情報の入力と脳の処理機能が低下しがちです。ゆったりした気持ちで、深い呼吸を心掛け、前方を凝視しすぎずに時折視野を広くとるなどしながら走ってみてください。

私の指導では一歩のクオリティー向上を大切にしています。あえてでこぼこ道やウッドチップコースといったスピードを上げにくいコースでの練習を取り入れたり、ミニハードルを飛び越えて走ってみたり、間を縫う形でスラローム走行をしたりすることもあります。いずれもTNCで重視している、重力下でバランスを制御しながら運動を行うために必要不可欠な、前庭感覚からの入力刺激を介した運動を目的としています。

また、マークスボードという器具に乗り、左右にバランスを崩したり、整えたりを繰り返すことで、バランス感覚を修正するようなアプローチも取り入れています。ボードに乗った後には、両足がいつもよりしっかり路面を捉えているような感覚に包まれます。

マークスボードでのトレーニング。乗った後は両足がしっかり路面を捉えているような感覚に包まれる

「運動神経が良い」と評価することが多くあります。しかし、運動神経は筋肉に収縮するよう刺激を伝達するもので、その太さの差で伝達速度こそ違ってきますが、運動神経そのものには個人差はなく、運動の巧拙を左右するものではないそうです。

運動神経が筋肉への刺激伝達をするものであるのに対し、味覚・嗅覚・聴覚・視覚・バランス感覚など自身や自身の体内の状況を察したり、自身の周りの状況を察したりするのは感覚神経がつかさどっています。「入力=感覚神経」「出力=運動神経」という観点でパフォーマンスを観察してみるとよいでしょう。

入力に誤作動があると出力に影響

例えば、ボールを相手に向かって投げようとする際は以下のような流れになります。

<入力>ボールの重さや弾力性、相手までの距離や風向きを察知

<出力>相手に届かせるためにどのくらいの力でボールを握り、腕を振り、どんな角度で手を離して投げるかの情報を脳で処理し、制御した後に指令を出す

入力に誤作動があると出力に影響します。ある方が直立し目を閉じた状態で30歩歩くテストに臨んだところ、進む方向がずれていき、最終的にトラック2レーン分、左側にずれました。このとき、左の腰を痛めていたそうです。普段は痛みをかばうため、視界に入る風景を基にバランスを取っていたのですが、視覚をシャットアウトした途端、修正がきかなくなったのです。

私も、股関節を痛めているときにした2種類のテストで感覚のずれを感じたことがありました。1つ目は正面を向いて目を閉じ、スプーンをたたく音が鳴った方向に鼻先を向けるテスト。音がした方を向いたつもりが、ずれが生じていました。聴覚(音)に対しての体の中心軸にずれが生じているかもしれないという診断でした。

2つ目は足の甲に刺激を与えるテスト。ギザギザの円盤で布などに印を付けるルレットを使い、左右の足の同じ箇所に同じ強さの刺激を与えたのですが、左と右で明らかに痛みの強さが異なりました。このようなずれは運動出力では解決しきれず、バランスの低下を助長することもあるようです。

赤ちゃんは生まれてからの約1年間、産道を通る出生、母乳を飲む、寝返り、ハイハイ、つかまり立ち、歩行という発達過程をたどります。脳が未熟なため、これらの行為はあらかじめ備わっていた神経反射によって行われ、その後、反射はなくなるそうです。ところが何らかの機能低下により再びそうした反射が現れ、パフォーマンス低下の原因となることがあるといいます。苦しくなると上体が萎縮したり呼吸が浅くなったりする、ウエアと皮膚との摩擦で背筋が硬直してしまう、といった方はその可能性があるかもしれません。

今回はTNCの知見に沿って情報入力と運動出力という考え方を紹介させていただきました。コミュニケーションや講演、教育の現場においても似たことがいえるのだと思っています。対象とする人の関心がどこにあり、何を知りたい、学びたいと思っているのかを的確に察知する。そんな情報入力の機能が鈍らないよう努めることが大切でしょう。情報を一方的にたくさん出力したとしても、それら全てを対象が受け止め、吸収することは難しいということです。

さいとう・たろう 1974年生まれ。国学院久我山高―早大。リクルートRCコーチ時代にシドニー五輪代表選手を指導。2002年からNPO法人ニッポンランナーズ(千葉県佐倉市)ヘッドコーチ、19年理事長に就任。走り方、歩き方、ストレッチ法など体の動きのツボを押さえたうえでの指導に定評がある。300人を超える会員を指導するかたわら、国際サッカー連盟(FIFA)ランニングインストラクターとして、各国のレフェリーにも走り方を講習している。「骨盤、肩甲骨、姿勢」の3要素を重視しており、その頭の文字をとった「こけし走り」を提唱。エッセンシャル・マネジメント・スクール特別研究員。著書に「こけし走り」(池田書店)、「42.195KM トレーニング編」(フリースペース)、「みんなのマラソン練習365」(ベースボール・マガジン社)、「ランニングと栄養の科学」(新星出版社)など。

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

関連トピック

トピックをフォローすると、新着情報のチェックやまとめ読みがしやすくなります。

セレクション

トレンドウオッチ

新着

注目

ビジネス

暮らし

新着

注目

ビジネス

暮らし

新着

注目

ビジネス

暮らし

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン