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斎藤佑樹さんが挑んだ肘の新治療 勇気持ち、球界を思い

スポーツライター 丹羽政善

1月23日、オンラインにて「2022年第1回野球医学セミナー」が開催される。21年に引退した斎藤佑樹さん(元日本ハム)が、20年10月に右肘の内側側副靱帯を断裂した際に治療を担当したベースボール&スポーツクリニック(川崎市・武蔵小杉)の馬見塚尚孝医師と対談を行い、具体的な治療・リハビリ内容を含めた一連の経過、新たな治療法に挑んだ思いなどを語る。そのセミナーを前に、2人がオンラインでの取材に応じ、その一端を語ってくれた。

腕の腱(けん)などを肘に移植するトミー・ジョン手術(肘内側側副靱帯再建術)か、自身の血液の血小板が多く含まれる部分(血漿〈けっしょう〉層)を抽出したのち、自己多血小板血漿を作製して患部に注入するPRP療法を含む保存療法か。一般的に肘の内側側副靱帯を損傷した場合の治療法としては、その2つがある。

20年10月、右肘内側側副靱帯の断裂という診断結果を告げられた斎藤さんは「手術を受けるか、PRPと筋力トレーニングでやっていくかと言われたんですが……」。当初は再建手術と保存療法の2択を提示されたというものの、置かれた立場を考えた場合、選択肢はないに等しかった。

「(トミー・ジョン手術をすると)1年間休むことになってしまうので、その選択肢はなくなる。筋肉を鍛えながらっていっても、ずっと筋肉を鍛えてきているし、この状態で(投球を)休んだとしても、あまり変わらないだろうと」

20年は1軍登板なし。18年から1軍未勝利。もはや1年の猶予など、望めなかった。また、靱帯の損傷、断裂といっても程度によって様々。部分断裂であるならPRP療法による回復も期待できる。しかし、斎藤さんのような完全断裂の場合、基本的に手術療法が推奨されており、PRP療法だけの治療成績はあまり良くないとされていた(※1参照)。

※1:PRP療法による治療実績(いずれもベースボール&スポーツクリニック提供)
▽肘内側側副靱帯断裂の保存的治療(ギプス+理学療法+運動療法)
・研究者のACレティグ氏ら(The American Journal of Sports Medicine、以下AJSM=2001年1、2月 )
 31人の肘内側側副靱帯損傷例の投手対象。13例(42%)が平均24.5週で復帰可能。
・フォード氏ら(AJSM=16年3月)
 部分的損傷例のプロ投手=保存的治療94%が同じプレーレベル。
 完全断裂例の投手=手術的に治療され、71%が同じプレーレベル。
・サルバトーレ氏ら(AJSM=17年4月)
 32例のMLB投手の保存的治療。66%は保存的治療で1年後には元のレベルに復帰。
 50%以上の重度損傷は保存的治療の適応とはならない。
 磁気共鳴画像装置(MRI)で調べると靭帯の尺側損傷例は保存的治療の効果が少ない。
▽肘内側側副靱帯断裂の保存的治療/生物学的治療 
・ポデスタ氏ら(AJSM=13年7月)
 靱帯部分断裂の34人のアスリート。30人(88%)が平均12週間で同じレベルに復帰。
・ダインズ氏ら(American Journal of Orthopedics=16年7月)
 靱帯部分断裂が確認された野球選手44人。34% Excellent、39% Good、4.5% Fair、23% Poor。 
・ディール氏ら(Orthopaedic Journal of Sports Medicine=17年11月)
 靱帯部分断裂の25人のアスリート。96%の患者は同じレベル以上に復帰。

つまり、どちらの治療法も現役を続行するための選択肢としては、現実的とはいえなかったのである。しかし、19年に1度、採血で訪れたことがあるというベースボール&スポーツクリニックの馬見塚医師に意見を求めたところ、3つ目ともいえる選択肢を示された。

ところがそれは、まだ治療実績に乏しく、斎藤さんがそれを選択するとなると、プロのアスリートに対しては初という治療法でもあった。

プロには初の治療法に「すごくいいのでは」

斎藤さんが負傷した頃、 馬見塚さんは、2年ほど前から肘内側側副靱帯を損傷、断裂したアマチュア選手に対して、①多血小板血漿療法(PFC-FD=PRP療法の一種)に、②栄養療法、③コーチング学を踏まえたリハビリを併用する新たな治療法(※2参照)を施しており、その結果に手応えを感じ始めていた。

実績としてはその時点で十数人だったが、完全断裂の場合でも、手術を回避し、早ければ半年ほどで復帰可能。治療の効果がなく、トミー・ジョン手術に至った選手はいなかった。

「もしかしたら、すごくいいのではないか」。そんなときにクリニックを訪れたのが、斎藤さんだったという。

※2:斎藤さんにとっては第3の選択肢となった新たな治療法(ベースボール&スポーツクリニック提供)
▽採血検査
▽治療
・栄養指導と処方
・生活指導  
・多血小板血漿療法(PFC-FD)
▽後療法プログラム
・安静期(およそ6週)=シーネまたはギプス固定(2週)と可動域訓練
・回復期(6週〜3カ月)=シャドーピッチングにおける技術力改善
・復帰期(3カ月〜6カ月)=MRIで評価後、キャッチボール(斎藤さんの場合、これを前倒しして行った)
・パフォーマンス期(6カ月〜)=試合

馬見塚さんが注目したのは、靭帯の修復に重要な役割を果たす亜鉛をはじめとする栄養療法だ。亜鉛を含む酵素は亜鉛酵素と呼ばれ、傷んだ組織の修復に効果をもたらすと考えられた。

「DNAポリメラーゼやRNAポリメラーゼは、細胞が分裂して組織を修復するときに必要。さらにIGF-1(インスリン様成長因子)、TGFβ(形質転換成長因子)もすべて亜鉛酵素であり、靱帯の修復に関係してきているのではないか、ということが最新の研究で言われ始めていた」と馬見塚さんは説明し、こう補足した。

「こうした亜鉛の働きに注目し、採血検査で亜鉛欠乏を示した斎藤さんに亜鉛製剤処方と亜鉛を多く含む牛肉、カキ、レバーなどの摂取推奨を行い、また、睡眠時間の管理など生活指導の改善を伝えました」

もっとも、この治療法は、すでに触れたように治療実績が少なく、馬見塚さんも「まだ、亜鉛治療と治療成績の因果関係を証明する証拠が不十分」と認める。よって、「失敗が許されない状況に斎藤さんには、すごいチャレンジングな選択をしていただいた」と振り返った。

それは、一選手のキャリアを左右するような提案でもあったわけだが、斎藤さん本人は、「それしかない、というところもありました」と決断を下した経緯を明かしている。

「(自分のケースでは)PRPだけでは決して明るくないといわれている治療法ではあったけれども、そこに先生から新たに、栄養と投げることを提案され、それが加わったことで、少し迷っていたところに踏み出せた」

すでに触れた3つの柱を改めて整理すると――。

①多血小板血漿療法(PFC-FD)

②栄養・生活習慣の指導

③出力を落としながら多めに投げるリハビリテーション

斎藤さんはそこに自身の将来を託し、同時に今後の野球界をも見据えていたという。

「自分が結果を出すという大前提がもちろんありましたけど、その次に、もしこれが成功したら、これからの野球選手にとってきっと大きな財産になるだろうなっていうふうに考えました」

誰かが踏み出さなければ、そこに道ができることはない。一歩目がなければ、目指すところへたどり着くこともない。その思いは後述するが、新たな治療法に踏み切る上で、「それほど大きな抵抗はなかった」とも言う。

「栄養療法に関しては、僕らはサプリメントを取っているので、その延長線上。それはすんなり受け入れられた。睡眠とか、生活習慣というところでも、普段から気を使っていたので」

斎藤さんはこともなげに振り返ったが、この習慣化は、この治療の土台をなす部分であり、地味な作業の積み重ね。単調な毎日が続けば、気が緩んでもおかしくないが、そんなところにもプロアスリートの自覚がうかがえる。

ブルペンで200球、気になった周りの視線

一方、そこまで負荷をかけないにしても、それなりに球数を投げるリハビリにおいては、気がかりなこともあったよう。昨年2月、プロ野球のキャンプが始まると、斎藤さんが連日のようにブルペンで100球、200球を投げている、ということが驚きをもって報じられた。

「投げることで何が不安かっていうと、もちろん、メスも入れていないし、すごく簡単にいったら、栄養や生活習慣の改善、そして注射を打っただけなので、肘への負担はあまり感じていない」

治療途中で撮った肘のMRIを確認すると、思いのほか、きれいに靭帯が治っており、手応えを覚えた。ただ、ある種の視線を感じていたそう。

「投げることには全然不安はなかったんですけれど、『おまえ、本当に大丈夫かよ?』っていうのを。周りが受け入れてくれるかどうかが一番不安でした。100球、200球と投げていく上で、きっと見ている身近な人の中では、『大丈夫かな?』っていう、もしかしたら心の中で批判の声もあったかもしれません」

馬見塚さんも「斎藤さんの場合、靱帯が完全に修復される前にキャッチボールを再開せざるを得なかったが、本来は靱帯がきれいに治ってから、投球を開始しましょうというリハビリが普通」という。

よって、固定観念に伴う偏見はプレッシャーになり得たが、「やっぱり僕の選択肢としては、それしかないって、思って進んできた」と斎藤さん。決断そのものがぶれることはなかった。

馬見塚さんによれば、この投げるというリハビリにも特徴があり、「投球障害リスクの一つである〝投球強度〟をうまくコントロールしながら投げていただいた」とのこと。また斎藤さんは、ラプソードという球の回転数、回転方向、回転効率、縦横の変化量などがわかる簡易型の測定機器をフォーム固めに利用したが、その際、同機器で投球強度のコントロールを確認するとともに、「(様々な)数値が変わらないように意識し、(真っすぐは)ジャイロ成分の少ない球を投げることを心がけた」とのこと。

それはすなわち、フォームの再現性と回転効率を高める作業であり、運動を自動化するには、それなりの球数を投げることもまた、必要だったのである。

そうして目的が明確だったことから、他人の意見に左右されることはなかったが、「もしかしたら、1年目、2年目の選手だったら、(このようなチャレンジングな治療は)できなかったかもしれない」と斎藤さん。「11年目の僕だからこそ、できたのかな、というところもありますね」

若い選手であれば、耳に入る意見の取捨選択が難しい。斎藤さんの場合、これまで成功も失敗も含め、様々な経験値があったからこそ、貫けた。なにより、屈したら、進化の芽をつむことにもなる、との思いも。だからこそ、斎藤さんは結果を求めた。

「批判をする人間たちっていうのは、自分が今まで作り上げてきたものを守るっていう意味で批判をすると思うんですけれど、やはり新しいことをやるっていうことは、今までの作り上げてきた方たちに対して、ちゃんと示していかないといけない部分もある。その辺は、先生と協力しながら少しずつでも、説得していけたらいいなという思いでやっていました」

さて、取材終盤、馬見塚さんが、斎藤さんにこんな質問している。

「アマチュア選手を対象とした今回の新しい治療はそこそこの結果が出てきたけれども、より高いレベルの斎藤さんにこの新しい治療を施して本当に大丈夫なのかと私自身、内心では不安もあった。この不安を斎藤さんやチームスタッフに悟られないように振る舞うようにしていた。そうしないと、治療が途中で中止される可能性も考えたからです。このような新しい治療のチャレンジを受けることは不安になりませんでしたか? また、違う道(治療法)を進めばよかったな、という気持ちはありませんでしたか?」

その問いに斎藤さんは、「違う道を進めばよかった、というのはまったくなくて、これでよかったなということは感じた」と即答した。とはいえ、葛藤がなかったわけではないよう。「治った後ですよね。果たして、僕が当初言っていた、140㌔、145㌔(の球)を投げられるようになるには、どうしたらいいんだろう、というところはすごく考えました」

痛みなくなり、投げられるようになったが…

初めてのケースだけにゴールの設定が難しい。「それは、この治療の延長線上でもあり、でも、またそれとは別のところがあると思うので、そこが僕の中では不安でしたね。結果的にこの治療法は何をもって成功なのか、というのは、まだ僕も分かっていない部分があるんですけれど、痛みがなくなって、投げられるようになった。これは一つの成功だと思う」

ただ、自分の中では、もう一歩先まで、道を築きたかった。「もう一個、僕が目指していた場所は、140㌔、145㌔を投げて、バッターを抑えて、1軍で活躍するっていうことが目標だったので、それに関しては結果的にできなかった」。その点について斎藤さんは、「どこをもって自分の頭を切り替えたらいいんだろう」と何度も自問自答したそうだ。

「やはりピッチデザインをしていく中で、球速を上げていくことと、変化球とかコントロールを極めていくことは、少し方向性がずれていくと思うんですよね。そうなったときに、もうこの辺でOKなんだと、135㌔ぐらいでもOKだと、あとはツーシーム、カットボール、スライダーをちゃんと投げて、バッターを抑えることにしようっていうところの見極めは、すごく難しいなと思いました」

その答え探しは、後に続く人に託すことになったが、自身も今後、指導者として携わることになるかもしれない。すでに学生野球を指導するための資格回復のために必要な研修を受講した斎藤さんは、自らの経験を通して、若い世代のサポートをしていきたいと考えている。

「この間、中学生の選手とキャッチボールをしたんですけれど、その子のフォームを見ると、すごい柔らかくて、中学生なりのしなりを持っていた。ただ、その彼の体をエコーで見たときに、筋の滑走が悪くなっていた(筋肉が少し傷んでいた)。その子はまだ、痛みを何も感じていない。フォームの見た目も柔らかい。でも、もうそういうところから、ゆがみみたいなのが出ていて、そこを予防の観点でも見ていけたらいい」

通常、選手はケガをしなければクリニックや病院には足を向けない。斎藤さんは、その前の段階から選手に寄り添い、パフォーマンスの向上との両立を支えていきたいという。「そういうところを、先生のような方と一緒にやっていけたらいいなと思っています」

さて、23日に行われるセミナーでは、治療法や斎藤さんが経験したことのさらなる詳細が語られる予定。興味のある方は、下記サイトで確認を。

「斎藤佑樹さん(元日本ハムファイターズ選手)から学ぶ!」2022年第1回野球医学セミナー(https://baseballmedicine-seminar-20220123.peatix.com/)

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