Jリーグ、観客7割まで復帰 本格復興へ動き始めた1年
サッカージャーナリスト 大住良之

2022シーズンのJリーグは残すところ、J3の最後の2節(11月12、13日と11月20日)18試合と、11月13日の「J1参入プレーオフ決定戦」1試合だけとなった。
J1チームが静岡から消える…
J1優勝は横浜M。終盤戦に失速して危うく川崎に逆転を許すところだったが、天皇杯決勝とルヴァンカップ決勝による約3週間の「オフ」で完全復調し、最後の2節は浦和と神戸に連勝して3シーズンぶり5回目の優勝を飾った。
J2への自動降格はともに静岡県勢の磐田と清水。Jリーグが始まって以来、静岡県勢がJ1から消えるのは初めてだ。代わってJ2優勝の新潟と2位横浜FCの昇格が決まった。そして「J1参入プレーオフ」では、J1で16位の京都が、J2で4位ながら粘り強くプレーオフ2試合(2-2大分、2-2山形)を戦い抜いた熊本と対戦する。
J2からの降格は盛岡とFC琉球。代わってJ3から、いわきの昇格が決まり、残る2節であと1座を争うのは、勝ち点63で並ぶ藤枝と松本山雅。鹿児島(勝ち点60)、今治(59)、そして富山(57)にも、わずかながらだがチャンスはある。

今季ポストシーズンの最大のニュースは、J3の下に当たるJFL(残り2節)で4位以内などの条件をクリアした奈良クラブが来季のJ3昇格を確定させたことだろう。JFLで3位のFC大阪もJ3昇格条件の大半をクリアしており、2クラブがJ3昇格(Jリーグ入会)を果たすと、来季はJ3が20クラブとなり、JリーグはJ1の18クラブ、J2の22クラブと合わせ計60クラブで「30周年」を迎えることになる。
41都道府県にJチーム
奈良クラブは、日本全国の都道府県でこれまでJリーグのクラブがなかった7県のひとつをホームタウンとするクラブ。1991年に「都南クラブ」として創立され、2008年に現在の名称に改称した。10月23日の鈴鹿戦で1万4202人の観客を集め、懸案の昇格条件「平均入場者数2000人超」をクリアした。これでJリーグは全国47の都道府県の9割近い41都道府県に広がる。
新型コロナウイルス禍のJリーグも3シーズン目となった今季も、J1では5試合が中止になり、中止ならずとも陽性者が出て少なからぬ影響を受けたクラブがいくつも出た。8月中旬の第25節の3試合が台風の接近で、9月下旬の豪雨が甚大な被害をもたらした静岡県で1試合が中止になった。幸い、全9試合が新たな日程で開催され、11月5日の最終節までに全306試合を終えることができた。
2月の開幕時はまん延防止等重点措置下だったものの、3月に解除されると、6月には「声出し応援」の段階的導入がスタートした。当初、声出し応援エリアが設定されたうえ、スタジアム全体の入場者数も収容定員の半分と制限されたままだったが、9月には入場者数の制限が解除された。まだマスク着用が義務付けられ、声出し応援エリア以外では拍手しかできないが、スタジアムは確実にJリーグ本来の雰囲気に戻りつつある。

サポーターの存在、なかでもその歌声は、Jリーグのアイデンティティーそのものといっていい。疲れを知らずに90分間声援を送り続けるサポーターのエネルギーが、選手のプレーに負けないくらい私たちの心を熱くし、勇気や元気を与えることを、2年半ぶりの歌声で、私は強く再認識した。
若き新チェアマンのリーダーシップにも注目
J1の今季全306試合の1試合平均入場者は1万4328人。史上最多を記録した2019年の2万751人のまだ7割弱だが、2020年の5796人、2021年の6661人からは大幅に伸び、この数字だけでポストコロナの本格復興に向かっていることがわかる。
そうしたなか、3月には任期満了となった村井満・前チェアマンの後を継ぎ、コンサドーレ札幌で長く社長を務めた野々村芳和・新チェアマンが、就任時49歳の最年少で就任した。
14年に就任した村井・前チェアマンは、危機的状況にあったJリーグの財政を映像配信サービスDAZN(ダゾーン)との長期にわたる大型契約で立て直した。さらに、新型コロナ禍に果敢に決断し、Jリーグという組織をフルに稼働させて対処した手腕はリーグ史に残る功績だ。そのリーダーシップは日本のスポーツ界全般、さらには東京五輪・パラリンピックにも小さくない影響を与えたと思う。

第6代の野々村チェアマンは、静岡県清水市(現静岡市)出身、清水東高校から慶応義塾大学に進み、1995年に市原(現・千葉)に加入。MFとして活躍、2000年から2シーズンは札幌でプレーして29歳で引退した。2013年に北海道フットボールクラブ(現・コンサドーレ)の社長となり、経営規模が大きいとはいえないクラブをJ1に定着させた。
Jリーグで選手経験のある人がチェアマンを務めるのは初めてだ。「アジアでずばぬけて楽しいリーグにしたい」という抱負をもつ野々村チェアマン。選手として、クラブ社長としての経験から、「ポストコロナ」の本格的な1年目になると期待される23年にどんなアイデアを出し、リーグを引っぱっていくのか、大いに注目されるところだ。