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パラの魅力に歓喜と感謝 感動のコメント、自身に重ね

女子マラソン(視覚障害T12)の35キロ付近を伴走者と力走する金メダルの道下美里㊧=共同

東京パラリンピックに興奮した日々が終わった。最初のうちは、障害のレベルによる区分けや競技規則の複雑さなどもあり、とまどいながらの観戦だった。独自のルールを覚えるたくさんの作業がかえって面白さを倍増させ、車いすや義足を扱う選手の技量や集中力の高さ、サポートスタッフとの連携プレーにのめり込んだ。そして競技後の選手のコメントに心を打たれた。

50歳にして陸上男子400㍍(T52クラス)で銅メダルに輝いた上与那原寛和(うえよなばる・ひろかず)選手は「応援してくださる方に形あるものとしてひとつ恩返しできた」と一言一句をかみしめるように語った。

パラスポーツの多くは、スタッフの支えなしには競技できないものも多い。アスリートもきっと彼らの思いを強く背負い闘っていたのだろう。メダルは彼らに報いるひとつの「形」。メダル獲得が必ずしも競技への参加目的でなく、自分へのご褒美ではなかったというのが新鮮だった。メダルとは本来、そういうものかもしれない。シンプルだが、その意味は深く心に響いた。

競泳男子400㍍自由形(視覚障害S11)で銀メダルを獲得したときに富田宇宙選手が語った。「障害を負った意味がこの瞬間にあったのかな」。障害と葛藤した日々をこれほど端的に表現する言葉はないだろう。

一般論として、人生は努力の割にそれが報われたと感じられることは少ない。スポーツの世界では、ほかの事柄に比べると、報われたと感じられる機会に恵まれている。それは必ずしも勝利である必要はなく、スポーツの素晴らしさとは悩み努力した経験を糧に、人生を好転させるチャンスを得られる点にある。富田選手の言葉からはそんなことを強く感じた。

パラリンピックでは、51歳で6回目のパラリンピックに挑んだ成田真由美選手など競技歴の長い選手が多い。競技特性や競技人口の違いなども確かに長く続けられる理由のひとつだとは思う。それは競技としての厳しさがない、ということではない。陸上競技のオリンピアンの知人が引退を決意した際、「あしたから走らなくていいと思うと正直ホッとする」と語った。勝負のプレッシャーと向き合う日々はメジャー、マイナーにかかわらず、誰しも困難な時間となる。

パラアスリートも同じだ。彼らが長い競技キャリアの中で人生を好循環させている姿に触れるにつけ、競技スポーツの理想を感じる。自分自身、年齢を経ても頑張るエネルギーをもらった気がする。

ある協会関係者から、試合の放送でパラ選手の競技での長所よりも身体の障害の状況をより多く報じる傾向があったと聞いた。アスリートなのだから、自身の障害よりも競技に注目してほしいと思うのも当然。パラアスリートへの理解が深まっていく途上のこととはいえ、一般の視聴者との意識の乖離(かいり)はどこまで縮めることができたのだろう。

あるパラリンピックアスリートは「自分たちが注目されるのは4年に一度だけ。認知も理解もまだ不十分だ」と語った。東京大会の成功は日本の障害者スポーツにとってゴールでなく、出発点なのだと思う。

(プロトレイルランナー)

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