吉田麻也、主将の任終える 森保監督と二人三脚の4年間

「もう僕は出し切りましたよ」。死闘を終えた吉田麻也は精根尽きたようにそう苦笑いした。3度のワールドカップ(W杯)と3度の五輪を戦い抜いた森保ジャパンの不動の主将は、大任の責という肩の荷を下ろしたようだった。
国際Aマッチ126試合出場。森保一監督在任中の出場時間は3200分を超え、招集メンバーでは最も多い。ともに長崎市出身の森保監督への信は厚く、「担ぎ上げたくなる監督」と公言してはばからなかった。
選手側の声を吉田が吸い上げ、森保監督がそれらに耳を傾ける。監督と主将の二人三脚によって森保ジャパンは運営されてきた。9月の活動でプレス戦術が奏功したのは、吉田がチーム内の意見交換を主導したから。W杯でのスペイン攻略法も、選手の考えをまとめた吉田が監督に具申する形で生まれた。2人の信頼のパイプがあってこそだった。

同じく8強の壁に阻まれた、4年前のロシア大会ベルギー戦との比較を問われた。「あのときは時間が長引けば長引くほど、『きついな』(負ける)と。でも今回は時間が長引くほどうちの特長が出せて、チャンスも増えるのではという感覚だった。そういう選手がそろっている」。それが日本サッカーの成長も示している。
34歳の一選手としてポジションを勝ち取り続けつつ、主将としての重責も両立させる。並大抵のことではなかっただろう。「1試合の重みがまったく違いました。覚悟、ですね。僕が変わったというより、変えてもらった、キャプテンという立場が自分を成長させてくれた」。代表への批判を一身に背負いかねない重圧も「楽しんでいる自分もいて、そのプレッシャーもあったから自分を律することができた」という。引き受け、挑んだ吉田だけが手にできた、新しい境地と景色があったのだろう。

これからの代表の守備の屋台骨は冨安健洋(アーセナル)や板倉滉(ボルシアMG)らが担っていくはずと、託すように言った。「僕はもう、そこには」。そこに心残りの響きはない。
次の世代が繁栄するには。そのための育成、指導者養成のあり方は。より広い文脈で日本サッカーを見据える言葉が節々ににじむ。代表選手としてのよろいをいったん下ろし、また違う地平へと、目線は向かい始めているのだろう。
(ドーハ=岸名章友)
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