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壮絶体験克明に 原爆詩「ヒロシマの空」作者の手記発見

 原爆詩「ヒロシマの空」作者の林幸子さんが書き残した膨大な手記=共同

お母ちゃんの骨は 口に入れると さみしい味がする――。原爆詩を代表する作品の一つ「ヒロシマの空」。作者で被爆者の林幸子さん(2011年に81歳で死去)の手記が、東京都の遺族宅で見つかった。今年で没後10年。残された膨大な自分史に、創作の基になった壮絶な被爆体験や、原爆に奪われた家族への思いを克明に記していた。

「ピカッ!その一瞬、ドーンと、大轟音(ごうおん)が大地をゆるがす。『熱いっ』と感じたのを覚えている」。広島に原爆が投下された1945年8月6日、16歳の高等女学生だった林さんは、爆心地から2.5キロの学徒動員先の工場にいた。戦後は原爆詩人の峠三吉(17~53年)らと活動し、詩を通して反戦平和を訴えた。

林さんは飛散したガラス片で重傷を負った。その後、爆心地近くの自宅を目指し廃虚をさまよう。

「るいるいと横たわる砂や灰にまみれた鮪(まぐろ)のよう…もうそれは人間ではない」。全身が焼けただれ、膨張した「裸形」の人で街はあふれた。ぼろぼろになって横たわる女性の近くでは、赤ん坊が泣いていた。

父の惣一さんと翌7日に再会。母のシズ子さんと弟の祐一さんは自宅の下敷きになり、炎に巻かれて死んだと聞かされた。遺骨を探しに行くと、祐一さんはシズ子さんのそばで半分骨になり、内臓が焼け残っていた。

軽傷とみられた惣一さんも髪が抜け始め、体中に紫の斑点が現れた。原爆症特有の症状とみられ、9月1日に病床で息を引き取った。手記には火葬の様子もつづられた。

「まだ焼けていない、父の姿が見える。私は、はっとして、眼を反らし、青空に上る白煙を見つめた」。林さんは骨箱に入りきらない骨を雑木林の小屋に運んだ。「お父さん、ごめんなさい」。無造作に積まれた遺骨の山に向かって合掌した。

 1950年10月、記念写真に納まる林幸子さん(中列左から3人目)。前列左端は原爆詩人の峠三吉(広島市)=広島文学資料保全の会提供・共同

代表作ヒロシマの空は、50年に発表された120行ほどの長編で、原爆投下から約1カ月の間に肉親を亡くした悲哀を描いた。林さんは戦後しばらくして東京に移り、詩作をやめたが、代表作は女優の吉永小百合さんが30年以上にわたり朗読し、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の朗読事業などでも活用されている。

手記は長男が保管していた。清書とみられるA4判約100枚のワープロ打ちの他、数え切れないほどの手書き原稿やメモが残り、ヒロシマの空に関する記述も多い。「あれは噓ではない真実だという思いを、今も変えていないことを知っていただきたい」〔共同〕

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