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高島平(東京・板橋) マンモス団地に再生の兆し

高島平団地は2022年に入居開始から50年を迎える

高架を走る都営三田線が東京都板橋区側の終点に近づくころ、車窓から高層の建物群が見えてくる。64棟、1万170戸からなる「高島平団地」は1972年の入居開始から来年で50年。日本のマンモス団地の代表的な存在だ。

水田が広がっていた一帯は1960年代から大規模開発が始まった。人口集中による市街地の無秩序な拡大が危惧され、大量の住宅を確保する狙いだったという。「高島平」は69年に定められた新しい地名。江戸時代の砲術家、高島秋帆が日本で初めて、この地域で洋式砲術訓練を披露した史実が由来とされている。

団地を整備したのは日本住宅公団(現・都市再生機構)だが、資料からは発展を目指す区の意気込みも伝わる。64年発行の板橋区公報は「近い将来、城北一のベッドタウンに発展することになるわけです」と宅地開発を伝えた。「ひらけゆく高島平」と題する区の71年のパンフレットは「健全な環境を有する快適で便利な住宅都市を建設」するとうたう。

「ただ計画には誤算もあったようです」と話すのは、資料を保存する区公文書館の西光三さん。高島平団地は比較的賃料が高く、区は年齢層が高めの世帯の入居を想定していた。しかし実際は赤ん坊の泣き声などのため民間のアパートを断られた若い世帯が流れ込み、区は保育園や学校の整備を急いだという。

平成、令和へと時代は移り、高島平地区には他のニュータウンと同様に高齢化の波が押し寄せている。団地を含めた地区の住人約5万人のうち65歳以上は2018年時点で3割を超え、区平均(23%)を大きく上回る。団地のテナントからは玩具店が消え、福祉や介護の施設が目立つようになった。

高島平ビールを企画した若松屋酒店の小林健太さん

地域のつながりも薄れかねないと、地元酒店3代目の小林健太さん(38)が一念発起。知人らに声をかけ始めたのがビール造りだった。地場産物は使っていないが、地元で親しまれる味にと試作を重ね19年12月に完成した。ラベルに団地や三田線をデザインした「高島平ビール」は地元中心に約30の飲食店が提供している。

静岡県の醸造会社に製造を委託した無ろ過のビールは華やかな香りとほどよいコクが後を引く。今のところネット通販はせず、口コミでじわじわと広がってきた。「高島平の人たちが集まり、飲んで楽しいと感じてもらうことが一番」と小林さん。街に活気が戻るか、若手の挑戦が注目されている。(村岡貴仁)

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