大喪・即位の礼で190超の会談(外交文書公開)
湾岸危機や冷戦で対話実現

1989年2月の昭和天皇大喪の礼と90年11月の平成即位の礼に際した「弔問外交」「祝賀外交」で、竹下登、海部俊樹両首相、外相らと外国から参列の要人との190を超す会談内容を記した秘密公電が23日公開された。皇室の慶弔行事を契機に、イラクのクウェート侵攻で始まった湾岸危機や「ベルリンの壁」崩壊といった国際情勢を巡り、幅広い対話が実現していたことが判明した。
2つの儀式は約160カ国の代表が集まる当時最大規模の催しだった。

即位の礼の挙行は湾岸戦争が始まる約2カ月前だ。ヨルダンのハッサン皇太子は「米軍の展開は政治的解決を困難にする」と警鐘を鳴らした。エジプトのガリ外交担当国務相は「戦争は回避したい。一方、平和的解決の可能性は少ないと言わざるを得ない」と分析。デクエヤル国連事務総長は「平和的解決への明るい見通しは持ち得ない」と漏らした。日本と同盟関係にある米国の動向をにらみ、率直な意見が交わされた格好だ。
大喪から即位の礼の間には東西ドイツが統一、冷戦終結に動くソ連情勢も各国と話題になった。
ソ連のルキヤノフ最高会議議長に、竹下、海部両氏は平和条約締結に向けて強い意欲を表明。大喪ではアフガニスタンやカンボジアの情勢も取り上げられ、途上国からは毎回、経済大国日本に対し支援要請が相次いだ。
「皇室外交」に詳しい舟橋正真成城大非常勤講師は「次につながる広範な対話が実現したのは多数の要人が集まったためだが、これは外国にとって昭和天皇が日本の戦後発展の象徴であり、新時代も大国日本と関係を構築したい考えがあったからだろう。背景には皇太子時代の上皇さまの精力的な外国訪問があり、戦後の『皇室外交』の成果と言える」と説明した。〔共同〕