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中国、天皇訪中を直接要請 日本は世論懸念し公表せず(外交文書公開)

90年の極秘公電公開 副首相が「即位の礼」で来日時

1990年11月13日、海部俊樹首相(左)と会談する、中国の呉学謙副首相(東京・元赤坂の迎賓館)=外務省外交史料館所蔵・共同

1990年11月の「即位の礼」に参列するために来日した中国の呉学謙副首相が海部俊樹首相と会談した際、天皇に即位された上皇さまに訪中を直接招請したと伝達していた。前年の天安門事件後では、天皇初訪中への起点となるが、日本政府が世論を懸念して非公表にしていた。23日公開の極秘公電で明らかになった。中国にとっては天皇訪中を日本との関係改善の象徴とする一方、事件による西側諸国の制裁を打破する思惑もあった。

天皇訪中は80年代の日中外交の主要なテーマだった。中国は繰り返し要請し、日本も前向きな姿勢を示していた。だが天安門事件で情勢は一変。89年8月7日付で外務省中国課が作成した極秘文書で対処が難しい課題として「天皇陛下御訪中」を挙げるなど「実現は困難」(元外務省幹部)との見方が広がっていた。

 1990年11月13日、会談で握手を交わす中国の呉学謙副首相(左)と海部俊樹首相(東京・元赤坂の迎賓館)=外務省外交史料館所蔵・共同

呉氏との会談を記録した90年11月13日の公電によると、呉氏は即位の礼があった12日に上皇ご夫妻(当時天皇、皇后)と会見した際、楊尚昆国家主席のメッセージとして「都合が良い時期に両陛下にご訪中いただきたいと伝えた」と説明した。

公電余白には、中国側との折衝で天皇訪中招請の発言に関し「外部に出さないことで了解が成立しているので念のため」との注意書きもあった。

政府の世論調査によると、88年は68.5%が中国に親近感を持っていたが、天安門事件があった89年は51.6%に大幅減。事件を契機に対中感情が急激に悪化した。会談に同席した谷野作太郎元外務省アジア局長は取材に「日中関係は微妙な時期で、天皇陛下に訪中してもらいたかったので招請を公表しなかった」と世論を理由に挙げる。

中国の銭其琛外相が91年6月の日中外相会談で天皇訪中を正式招請。翌年10月に実現した。銭氏は引退後、回顧録で「天皇訪中が実現すれば、西側各国が科した中国指導者との交流禁止を打破できる」と狙いを語った。〔共同〕

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