東京感染症ステートメント2021(抄録) 感染症会議
二度と危機を繰り返さないために

<ワクチン>日本発の実用化支援 接種率向上や国際貢献も
新型コロナに対しては複数のワクチンが実用化されたが、日本発ワクチンの実用化が遅れた。実用化を早めるため21年6月に閣議決定された「ワクチン開発・生産体制強化戦略」を着実に実行するとともに、日本医療研究開発機構(AMED)にただちに先進的研究開発戦略センター(SCARDA)を設置し、迅速に研究開発を支援するべきだ。流行が落ち着き、国内で感染者が少なくなると、ワクチンの臨床試験が難しいことから、アジアなど流行地域で臨床試験を実施できるようなネットワークの構築を進める。mRNAワクチンのような新しいタイプの医薬品の研究開発や製造のためのプラットフォームを構築するなど、アカデミアや企業におけるイノベーションを促す必要がある。
医薬品医療機器等法に基づいた医薬品の条件付き早期承認制度も設けられているが、ワクチンに適用できるのかなど明らかではないなか、日本発ワクチンの迅速な実用化を促す枠組みについて検討する必要がある。感染症は流行状況が予測できず市場性を予見できないため、ワクチンを政府が買い上げたり、備蓄したりすることも検討すべきだ。
ワクチン忌避への対策も含めた接種率の向上も取り組まなければならない課題だ。接種率が70%を超えた今、国内では接種者の割合ではなく、未接種者の割合に目を向け、未接種率を広報すべきだ。接種率の向上には、ワクチンを接種していないことが、肥満や糖尿病と同じように重症化リスクファクターの一つであることを未接種者に積極的に伝えるほか、接種する可能性が比較的高い「受けようと思っている(が受けていない)」「まだ決めていない」人に重点を置き、そうした人の価値観に寄り添う形で、接種を後押しする策が必要だ。副作用を危惧して接種を受けない人向け、また、追加接種向けに、安全性の高い日本発ワクチンの迅速な実用化が求められる。
感染リスクが高まっている小児への接種を行うべきかなども課題になっている。現状、12歳未満の小児については承認されたワクチンがないが、小児の間で感染リスクが高まっていることから、国内でも小児のワクチン接種を進めるべきかどうか検討する必要がある。
ネットなどを通じてフェイクニュースや不安をあおるデマなど誤った情報も含めて大量の情報が拡散され、いわゆるインフォデミックの状態にある。情報提供に際しては、上から目線ではなく、相手の価値観を踏まえた上でキメの細かい対応を行うべきだ。
安全保障としてのワクチンという観点からは、有事の際も安定供給ができるよう、平時からワクチンや治療薬の原材料・中間体、製造に必要な資材の国内調達やサプライチェーンの複線化、製造に必要な施設・設備の維持・更新、周辺産業の育成などを進める必要がある。
また、グローバルな往来や貿易の再開に向けては、COVAXなどを通じて低所得国・低中所得国へ日本発のワクチンを供給するなどいっそうの国際貢献が必要だ。
<検査>接種拡大で体制づくり急務 多様な手法活用
ワクチン接種が進むことで軽症者の割合は増加すると考えられるが、今の状況に合った検査の全体像が描けていない。

医療と公衆衛生を目的とした検査は3つのレイヤーに分けられる。1つ目は個人レベルで、個人が薬局などで購入できる抗体検査キットや迅速抗原検査キットを用いた結果を、個人の診断や治療に医師が役立てる。2つ目は集団レベルで、職場や学校で健康観察アプリなどを導入し、異常があればすぐに検査や治療を受けることを通じてクラスターの予防につなげる。3つ目は社会レベルで、サーベイランスを通じて公衆衛生対応に役立てる。
政府により検査のキャパシティーが拡充されるにつれ、治療やまん延防止の観点から軽症者の早期発見の重要性が増している。長崎県の健康観察アプリ「N-CHAT(エヌチャット)」は入力のハードルや不安を取り除き、メリットがあるように設計されており、少し具合の悪い有症状者の早期発見に役立っている。こうした取り組みは一部にとどまり全国展開が期待される。
サーベイランスにおいては見えない感染をどう「見える化」するかが課題だ。感染者情報共有システム「HER-SYS(ハーシス)」による全数報告サーベイランスのみならず、血清疫学調査や定点サーベイランス、ゲノム解析、下水サーベイランスなど様々な手法を組み合わせることが不可欠だ。民間企業は様々な検査技術を開発しているが、精度管理手法が確立されておらず、生かしきれていない。官民挙げてのルールづくりや、国際的な精度管理のハーモナイゼーションが重要だ。
求められる主なアクションとしては、検査に対する社会全体の理解を得るために、国が検査の方向性や役割について示すことが必要だ。健康観察アプリのような取り組みの横展開や、様々なステークホルダー(利害関係者)を巻き込みながら検査やサーベイランスのイノベーションを推進することが求められる。
<医療提供体制>役割分担し「地域完結型」へ 命の選択も議論を
過去最大の感染者数を記録した「第5波」では、病床が不足し、自宅療養や宿泊療養の患者が増え、一般医療を極度に制限せざるを得ないところも出るなど、日本の医療が危機的状況となった。
東京都だけでも一時、自宅療養者が2万5000人を超えた。厚生労働省の集計によると21年1月から9月までの間、自宅療養中だった122人が自宅で死亡した。病床も医療従事者も足りず、新型コロナ以外の医療を制限したり、救急車の応需率が下がったりするところもあった。背景には、病床あたりの医師数など医療従事者が国際的にみて少なく、患者を受け入れる病床数を簡単に増やせない日本特有の医療提供体制がある。また、第5波では、病院や医療従事者が命の選択を迫られるケースもあった。
一方で独自の取り組みにより第5波を乗り切った都道府県や自治体もある。「第6波」に向けては、病院で完結するのではなく、地域の医療資源を最大限活用し、「地域完結型」で患者を受け入れることが不可欠である。具体的には、あらゆる病院が役割分担を進め、重症者は大規模病院、比較的症状の軽い患者は中小規模の病院と、病院の機能に応じて早く患者が入院できる体制を構築。早期から治療介入して重症化する患者を少しでも減らすことが重要だ。
都道府県や自治体が本部機能を発揮し、重症度に応じ病院の役割に合った患者を入院させるようにすることや、そのために病床の空きや医療従事者の状況などのデータを共有できるようにすることも求められる。
病院間だけでなく、診療所や介護施設などの連携も進める。急性期を過ぎた患者は後方支援病院に転院させたり、軽症者や回復した患者を在宅で治療したりできるようにする。こうした取り組みは地域医療のあるべき形にもつながる。
中長期的には、あらゆる医師や看護師を対象に、平時から個人用防護具(PPE)の脱着、人工呼吸器などの運用を訓練し有事に備える。
さらに高度な治療を行える専門性を持った医師や看護師が集中治療の現場に対して遠隔で支援を行うシステム(tele-ICU、eICU)を活用し、医療資源が限られる地方などにおいても、重症者の集中治療に対応できる体制をつくる。
心肺停止の状態になったときに蘇生措置を開始するかどうかの意思を確認できないことも考えられる。終末期の蘇生措置などについては、意思表示ができることを一般の市民に知ってもらうとともに、家族を交えて意思を確認しておくなど平時から理解を促進させていく。
有事の際に治療や搬送の優先度を判定する「トリアージ」や、蘇生措置を開始しない判断については、診療に当たる病院や医療従事者など現場に任せるのではなく、そのあり方について議論を喚起し、一定のガイドラインを準備する。
<治療薬>患者の同定と早期介入で 効率的に活用へ
重症化リスクのある軽症、中等症の新型コロナ患者には、臨床試験で有効性・安全性が確認された中和抗体薬が実用化した。さらに、軽症、中等症向けに、経口投与の低分子薬が開発中だ。米国や欧米では臨床試験の中間解析で安全性や有効性が確認され、承認申請された低分子薬について審査が進んでいる。
経口投与の低分子薬を発症早期に投与することで重症化する患者を減らせれば、医療提供体制への負担を軽減することにつながる。
国内では重症化リスクを予測できる2種類の血液検査が開発されたが、検査実施から結果の返却まで時間がかかるなどの理由から十分活用されておらず、中和抗体薬が効率的に活用できていない。重症化リスクを予測できる血液検査を手軽に実施し結果が迅速に分かる仕組みの構築が急がれる。
また、手軽に検査を受けられない、濃厚接触者を把握する仕組みが機能していないといった理由から、感染者を同定するための検査が十分でない面がある。
中和抗体薬や低分子薬を効率的に活用するためには、感染者を迅速に同定し、早期に治療介入するためのしくみの構築が重要だ。
<データ活用>対策に必要な情報収集 ユーザー視点で
感染者の情報を共有するために国が開発したシステム「HER-SYS(ハーシス)」によって、現在は自治体から厚労省への感染者情報の集約が図れている。とはいえ必ずしも感染症対策の意思決定に必要な情報をすべてハーシスから入手できるわけではない。どうすればデータを入力しやすいか、どんなデータが感染対策に必要かを知る感染症の専門家とIT(情報技術)の専門家とが連携し、現場の人々にとっての使い勝手を重視した設計としなかった点に原因がある。
政府はほかに接触確認アプリの「COCOA(ココア)」、医療機関の稼働状況や医療資材の確保状況を把握する「G-MIS(ジーミス)」などのシステムを開発。ワクチンについては厚生労働省が配送管理システム「V-SYS(ブイシス)」、内閣官房が接種記録システムの「VRS」を構築した。医療機関などにとっては入力に負担がかかっているほか、データを連携させた分析がしづらい問題点がある。
ユーザーの使いやすさという視点が欠けていたため様々なシステムやアプリが乱立し、日常的に使うことで行動変容につながるような設計も不十分だった。データ活用ではプライバシー侵害などの国民の不安を払拭する必要がある。情報をどんな目的で使うのかを明確にし、発信することが重要だ。
求められる主なアクションとしては、感染症専門家とIT専門家が連携し、ユーザー視点からシステムの使い勝手を高めることや、省庁間、国と自治体の責任分担を明確にしてデータ連携を深めることが挙げられる。
さらに個人の健康情報を集約して活用する「パーソナルヘルスレコード」の実現に向けた議論や、どういう形で個人情報を使うのか、国民への丁寧な説明も必要だ。
<東京五輪・パラリンピック/水際対策>問われた説明責任 総括しノウハウ発信を
東京五輪・パラリンピックは1年延期され、21年7~9月に開催された。新型コロナウイルスについて解明が進み、対策を取りやすくなり、ワクチン集団接種も始まったので1年延期の効果はあった。しかしデルタ型の流行で感染者数は1年前よりも大幅に増える中での開催だった。なぜ開催しなければならないか、政府が十分な説明責任を果たしたとは言い難い。
第1次大戦後、スペイン風邪の流行が収まりきらない中で開かれた100年前の1920年ベルギー・アントワープ五輪を除けば、パンデミック下での五輪・パラリンピック両大会開催は人類初の経験だった。
バブル方式による感染防止策自体は概ね有効に機能したといえる。大会の無観客開催をめぐっては決断が遅れ、感染拡大も進み世論の圧力も強まる中での受け身の形でようやく決まったが、結果的に一定程度の感染防止効果をもたらした。
水際対策では大会関係者に様々な特例措置が認められた。変異株「ラムダ型」の感染が、ペルーから入国した五輪関係者から確認され、五輪閉会後に報じられた。ゲノム解析の専門家によれば新型コロナは今後も変異を続ける。水際対策は課題を残した。
大会運営の全般的な戦術や役割分担の方針が早い時期に定まらない中でも、現場の実務担当者は具体的問題に対処し、大過なく任務を遂行したと考えられる。
ワクチン接種証明や検査、運営側の判断など、今回の大会を総括し、有事に対処するための参考にする。同様の国際イベントでは、主催者側に開催国の医療体制の現状や国民感情を政府が説明し、実情に合った開催方法の調整を促すべきだ。
指揮命令系統と司令塔を明確にし、実務担当者の安全確保のための法整備も進め、運営が機能する体制を作る。蓄積したノウハウやデータを世界に発信することも求められる。
<国の意思決定>不明確なプロセス 平時から有事に備えよ
コロナ禍という有事における国の意思決定では、専門家の意見を聞いた上で、それを最終的に採用するかどうかの判断の理由、実行のプロセスが必ずしも明示されたとはいえない。国と地方自治体の関係も明確でなく、決断が遅れた面もあった。国民とのリスクコミュニケーションも、政策の意思決定プロセスが不明確だったために、一体感を醸成するメッセージとして有効に伝わらなかった。
政府が進めた観光支援策「Go Toトラベル」、外食需要喚起策「Go Toイート」をめぐっては、専門家の意見が必ずしも反映されたとはいえない。経済優先の政策の下で感染対策が後手に回った面もある。
日本の医療は地方分権であるため、国はリーダーシップを発揮しにくい。感染症は全国規模の問題であり、47都道府県に共通のデータや基準がなければ比較もできない。都道府県の知事に任せること、国がやるべきこと、国と地方自治体の権限と役割分担を平時から明確に決めておくべきだ。
コロナ禍での国の意思決定についてなるべく早い時期に総括し、教訓として次の有事に備えるべきだ。有事には国や地方自治体などの責任あるリーダーたちが問題解決への共通目標を持ち、ワンボイスでメッセージを伝え、国民の分断を少なくするよう双方向のリスクコミュニケーションを取っていく。新たなパンデミックに対処できる国の有事の備え(プリペアードネス)を整えなければならない。政治家や専門家、官僚も含め不可欠なコア人材を明確にしておく「アクティブ・ロースター(選手登録制)」のような仕組みが必要だ。
<感染症対策への市民の参画>共に創り共に実行へ 「統治者目線」脱却を
感染症対策には市民の協力が不可欠である。コロナ禍においては「自粛疲れ」がいわれ、次第に政府や自治体の要請に対する国民の協力が得られなくなっていった。根本には主体性のない「やらされ感」がある。感染者情報共有システム「HER-SYS(ハーシス)」や接触確認アプリ「COCOA(ココア)」などではユーザー視点が欠如していたために、現場が入力しづらくユーザーにとって使いづらいものとなった。
やらされ感やユーザー意識の欠如といった問題を解決するには、社会的課題の解決を目的にマーケティングの考え方を活用する「ソーシャルマーケティング」の視点が欠かせない。
いきなりメッセージや政策を打ち出すのではなく、年齢や職業などといった外形的な基準ではなくて、それぞれのグループの価値観や意識に基づいたメッセージを発信することが重要だ。「統治者目線」ではなく、市民の不安や意見を聞き、政策を市民と共に創り、共に実行する。そうすることで市民が当事者意識を持ち主体的にコミットできるようになる。
感染のステージが変わるにつれて新たな施策に協力してもらう必要が出てくる。政策やシステムを導入する際には、人間にとって新しいことをするのは負担(コスト)だと感じるということを認識し、市民にベネフィットを提示することも重要となる。
求められるアクションとしては、社会の様々なグループが持つ価値観や意識に基づいたメッセージを発信する。「統治者目線」ではなく、市民の不安や考えを十分に理解した上で、政策を市民と共に創り、共に実行する。ソーシャルマーケティングのような手法も用いるべきではないか。特に新しい政策やシステムを導入する際は、市民の不安を減らすと同時に、それを上回る利点が感じられるようなことに留意すべきである。

「日経・FT感染症会議」は、国内外の企業、行政機関・団体、アカデミアなどすべてのステークホルダーが一堂に集まる国際会議です。2014年に「日経アジア感染症会議」として始まり、具体的なアクションプランを日経グループのグローバルメディアを通じて国内外に提起してきました。本年は第8回アフリカ開発会議(TICAD8)と連携し、感染症有事に強いグローバルヘルスの在り方や日本の貢献を議論。G7サミットなどをふまえて薬剤耐性(AMR)対策についても発信します。