宮本洋一 私の履歴書(8)大学受験
清水建設会長
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都立日比谷高校には大学受験の浪人生が通う「補習科」が置かれていた。一種の予備校である。高校時代は思う存分遊び、受験勉強は卒業後に必死にやれば何とかなるという風潮があった。受験浪人は当たり前で、私たちはその補習科に通っている先輩たちを「4年生」と呼んでいた。
ちなみに、私が大学受験した1966年の日比谷高校の東大合格者数は128人。現役合格者は少なく、その多くは「4年生」、すなわち浪人生だったよう...

清水建設会長の宮本洋一さんが歩みを振り返ります。地方の現場で学び、東京都庁などの大規模プロジェクトを経て、2007年にトップに上り詰めた宮本さん。時あたかも名古屋地下鉄談合事件で業界の信頼が失墜した時期の登板となり、その後もリーマン・ショック、東日本大震災による原発事故と未曽有の困難が次々に押し寄せます。危機下にあって、いかに経営のかじを取ったか。決断と挑戦の舞台裏が明かされます。