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あなたの生きる喜びは何ですか?

読者の提案と社長の講評 芳井敬一・大和ハウス工業社長編

芳井社長の提示した「あなたの生きる喜びは何ですか?」という課題に対し、多数の投稿をいただきました。紙面掲載分を含めて、当コーナーでその一部を紹介します。

■対面で得る充足感

吉岡 理紗(会社員、29歳)

日常生活の中で、誰かの役に立てたときに喜びを感じる。ちょっとしたことでも、他の人を助けることで感謝してもらえるとうれしい。だが、単身世帯が増え、ご近所付き合いが減り、ライフスタイルが多様化したことによって、近年は街の中からこうした場面が減りつつあるように感じる。ちょっと料理が得意、ちょっと英語が得意、ちょっとパソコンが得意など、ちょっとした強みは誰でも持っている。住宅事情や生活習慣の変化で、ちょっとした強みを発揮しづらくなっているとしたら残念だ。もちろん、現代ではこうした強みをネット上で生かすこともできるが、面と向かって「ありがとう」と言ってもらえる、笑っている顔をじかに見ることができる喜びはネット上では得られない格別なものだ。ちょっとした強みを生かすことができる対面のコミュニティーづくりがどんどん広がってほしい。そうすれば、生きる喜びがどんどん広がっていく世の中になる。

■若者を育てる

増野 秀夫(自営業、66歳)

誰かのために何かをしたいと思えることが私の生きる喜びだ。日々の暮らしの中でその幸せを感じるときがある。例えば、若者を立てることだ。江戸時代、江戸では経験を積んで世間を見る目を持ったお年寄りは皆が大事にした。お年寄りも、若い者を立てることに気を使っていたそうだ。現代の社会保障制度などなかったけれど、早めに引退して充実した老後を過ごすために、若い時に苦労する。年を取ってから余生を楽しむという生き方を、江戸時代の多くの町衆が描いていた。またそうした生活ができるような周囲の人たちの配慮があったと聞く。そして江戸の町衆は60歳を迎えると、とことん自分を律する心構えに徹して、息絶え絶えのありさまでも、他人を勇気づけようとする境地に入る。例えば若者をどれだけ引き立てたか。若者にどれだけ知恵を伝承したか。1人でも多くの若者を育てることが、お年寄りの評価基準になったようだ。今の時代にも通じる生き方だろう。

■世界が広がる

石橋 龍(産業能率大学経営学部2年、20歳)

自分の中の世界が広がったときに生きる喜びを感じる。私は今年成人式を迎えた。これまでうれしいことや悲しいこと、心が熱くなることなど言葉では説明できないような出来事があった。中でも人と関わったり、さまざまな経験を経たりして自分の中の価値観が変わる瞬間がある。すると今まで自分が生きていた世界が広くなり、さらに広い世界で生きていけるのだと感じて、その気持ちが喜びに変わる。これこそが私の生きる喜びだ。この生きる喜びを感じるために意識していることがある。それは自分と違う価値観の人と出会った時にどのようにアプローチするかを考えることだ。自分と合わない人とは関わらないようにしようと、コミュニティーを広げる努力を怠れば、自分の世界の面積は広がっていかない。私は残りの人生で自分の世界を広げて生きていきたいと思う。そのために多くの価値観や考え方、それぞれの幸せがあることを知っていきたい。

【以上が紙面掲載のアイデア】

■時間があること

香取 正義(関東学院六浦高校2年、16歳)

自分自身の時間がつくれたとき、うれしく思うことがある。高校生の私は、学校が終わると部活、それが終われば習い事や塾があり、好きなように使える時間は限られている。その中でいかにフリーな時間を見つけられるか。車や電車に乗っている移動時間やわずかな休憩時間は、数少ない個人的な時間だ。飛行機が好きな私は、「今度、空いた日にはどこの空港に飛ぼうか」などと思いを巡らせる。そうするといろいろな発想が浮かんできて、日々の癒やしになっている。よく考えると、「時間があること」とは生きる喜びそのものだ。うれしい時間はもちろんだが、忙しい時間や悲しい時間でさえも、生きているからこそ得られる。そして、私たち一人ひとりが生きていけるのも、多くの人が様々な時間を積み重ねているおかげだ。世界には不慮の事故や戦禍などによって、時間を奪われてしまう人が多くいる。そのような人々を含め、みんなが1秒でも長く時間を得られることを願う。

■心身の鍛錬

右山 由子(主婦、60歳)

これまで自分の身体を特に意識せず、無意識に任せて体を動かしてきた。年齢から考えると、そろそろ私の身体もクラシックカーのようだと言ってもいいかもしれない。エンジンのかかり具合も今一つであるし、故障もちらほらでてきた。このまま放置していては人生100年時代に備える身体を保つことはできないだろう。そんな私は今、ヨガに取り組んでいる。訓練のおかげで体が少しずつ動きを覚えて、どんどん快適に動けるようになってきた。ヨガは身体という乗り物のメンテナンスにピッタリだと思う。毎日少しずつ自分の体と向き合っていると、体がどのように感じているのか、きょうの調子はどうなのか内観する。自分の体の機動力や筋力、柔軟性やバランスなどひとつひとつが調和したとき、気持ちの良い自然な動作ができあがるのだ。私の生きる喜びは心身の調和をつくり自分を使い続けていくことだ。大切な乗り物なので入念に手入れをして長く長く使っていきたい。

■家族がいること

高瀬 光(海陽学園海陽中等教育学校1年、13歳)

今、僕は家族と離れて生活している。小学校の頃は親がそばにいてくれていつでも話ができるのが当たり前だった。いつも食事を共にし、テレビを見て一緒に笑い合っていた。時々叱られることもあった。その時は叱られるたびに反抗し、けんかになったものだが、小学生の頃はそういったやりとりがどれだけ大切なことかわかっていなかったのだと思う。むしろ、嫌なことだと思い込んでいた。しかし、中学生になって親と離れて暮らすようになると家が恋しくなり、今まで叱られたことのほとんどが普段の生活に直結していたのに気がついた。そこから、家族の大切さ、家族がいることの幸せ、喜びを知ることができた。このようなことは、家族と離れてからでないとなかなか理解できない。まだ若い今のうちに、家族がいる喜びを与えてくれている親に感謝の心を持てることが生きる上で最大の喜びだと気づけたことは、自分の成長を実感できて良かった。

■何気ない日々の発見

高橋 絵梨菜(産業能率大学経営学部3年、21歳)

私が生きる喜びを感じるのは、日々の生活の中で何かを見つけたとき、気づいたときである。例えば、普段何気なく歩いている道で、かわいい鳥を見つけたとき、きれいな植物を見つけたとき、季節が変化していることに気づいたとき。わくわくした気持ちになり、いつもは何も感じない道が急にすてきなものに見えてくる。おいしいものに出合ったときにも、とてもうれしい気持ちになる。喜びは誰かと共有したくなるものだ。自分の好きな相手とそれを分かち合うことができたら、さらに喜びを感じる。また、友達のいいところに気づいたとき、人の優しさや思いやりに気づいたとき、自分に向けてくれたその気持ちに喜びを感じる。生きているからこそ感情があり、喜びを感じることができる。何気ない日々の中の発見に幸せを感じ、生きているなあと感じる。日々の積み重ねの中で、ありがたみを忘れてしまうこともあるが、この発見や気づきを大切にしたいと思う。

■つながること

和田山 安宏(自営業、69歳)

私にとって生きる喜びとは、つながることである。芸術とのつながり、人とのつながり、地域とのつながり。それらは生きていく上で必要不可欠な存在となっている。既にインターネットで人々はつながっていると反論されるかもしれないが、それは本来のつながりではなく、根源的な価値を創出する役割を演じていないのではないか。では、本来のつながりとは何か。私は自分がつながりたいと願う存在との接点と考える。一方的にCMを押しつけるのではなく、つながりたいと思うものとの出合いを提供するネットワークが必要である。個人が受発信する多くの情報をAIで分析し、それぞれの人が願うつながりを創出する。そのインフラとして家はとても重要な役割を果たす。スマホや携帯を越えた新しい機能として、家がつながってほしい。例えば、自宅のどこに居ても、外部と交信ができるとか、従来にない機能を作り出してほしい。家とは、それほど大切な存在である。

■愛犬との暮らし

横須賀 碧泉(山野美容芸術短期大学1年、19歳)

犬と過ごす日々が私の心を満たしてくれる。私の実家では、6歳になるかわいい保護犬を飼っている。つらいことや大変なことがあっても、また頑張ろうと思えるのはこの子が元気をくれるからだ。そんな大切な愛犬が、けがなく幸せに暮らすためにも、住みやすい環境は非常に重要だと考える。犬と人は別の生き物でありそれぞれ住みやすい環境は異なるため、互いに快適に暮らせる環境を整えたい。例えば、フローリング等の滑りやすい素材の床では犬が転んでけがをする可能性が高まる。そうならないためにも滑りにくい素材の床にすることは大切である。カーペットを敷くのも手だが、毛が抜けやすい犬がいる家は掃除の手間が増えてしまう。また、動物と暮らす人限定のマンションをつくりこれらの工夫を詰め込めば、さらに住みやすい環境が出来上がると思う。大切な愛犬との生活を守るためにも、このような様々な工夫を取り入れた住みやすい環境をつくっていきたい。

■地元の輝き見つける

宮崎 康子(会社員、60歳)

新型コロナウイルス禍で、自家用車がなく公共交通機関頼みの私にはハイキングが難しくなった。そこで、ルート検索して登山口まで買い物用自転車で1〜2時間かけて行く方法に替えてみた。降りて押しても上がりきれないような急坂だったり、私有地横切りだったり、想定外のハプニングが起きる。それをゲーム感覚で楽しむことにした。意外な史跡やユニークなお住まいが見つかったり、珍しい幼虫がいたり。モノクロだった地元がマルチカラーでキラキラして見えてきた。さらに足を鍛えるため、地図で急坂を見つけ出して、片道1時間くらいなら歩くようにすると、猫しか通らない細い道、謎めいた階段など「宝」が次々現れる。こうした発見を登山用アプリで投稿すると、嗜好の似た方から思いがけずたくさん反応があって自分を出せる場となり、自信につながった。アルプスは長野だけじゃない。私の生きる喜びは、あるがままの地域や自然から輝きを見つけ出すことだ。

■努力が実るとき

大竹 浩生(海陽学園海陽中等教育学校1年、13歳)

僕にとっての生きる喜びは、自分の成長を感じられることだ。寮生活では「続ける」ことを大事にしている。例えば、毎日5時半に起きるようにしたり、決まった日に洗濯をしたり、毎日部屋を整理したり、計画を立てて勉強をしたり、決まった時間にシャワーを浴び、歯磨きをしたり、寝る前に必ずお肌のケアをしたりしている。このように、毎日「続ける」ことで、なぜかすごく気持ち良くて、自分に自信がついてくるのが実感できる。きょうの昼、鼻にニキビができていたので、そのケアをしていて自分の顔を見ると、他の部分にニキビは無く、乾燥もしておらずとてもきれいに感じた。そういった小さなことに自分の「続ける」が見えて、とてもうれしい。日々の生活で面倒だと思うことはたくさんあるが、そういったことの積み重ねで大人へ成長していくのだと思う。なので日々頑張っている。それが実った時に、僕は生きる喜びを実感するのだ。

■後輩・若手の成長

義平 貴正(会社員、41歳)

私の生きる喜びは「人の成長」を感じる時だ。仕事の中で後輩・若手の教育を担当する場面が多く、教えたことを独力でできるようになっていく過程を感じられるのは他では得られない喜びだ。ただ、職場での後輩・若手の教育担当期間は一定期間に限られる。その後、後輩・若手達は自らの力で仕事上の困難に向かっていくことになる。そうすると、表向きの直接的な教育場面や会話の回数は減少する。だが、教育担当期間の終了が教育の終了ではない。教育を担当する以上は教育期間終了後も「教育した責任」があると思っている。いつか後輩・若手達がさらにその後輩・若手達の教育を担当する立場になった時、私の教育を受けて良かったと思ってもらえるだろうか。そのように思ってもらって初めて責任を果たしたと言えるのだと思う。いつかそう思ってもらえるよう、後輩・若手の成長に喜びを感じながら、これからも真摯に目の前の毎日を過ごしていきたい。

■帰属感を高める

馬 婷竹(会社員、31歳)

私は生きる喜びを、住む場所への「帰属感」を高めることだと定義している。同じ土地に長く住んでいながら帰属感を感じられていないとしたら、理由は2つ。1つは隣に住む人と自然に会話を交わす方法が分からないこと、もう1つは住民間の絆が弱いことではないか。2つに同時に対処するには、例えば、団地とその周辺の農家などとが共同で「リサイクル趣味会」を開くのはどうだろう。ごみや廃棄された農作物から再生品や雑貨をつくり、販売する。売上金は団地内に癒やしの空間をつくるための植物や手芸道具などの購入資金に充てるのだ。癒やし空間に人々が集い、ともに手芸をしたり植物の手入れをしたりすることで、自然と会話が生まれ、絆も深まると思う。参加者にオリジナルバッジなどのグッズを配布すれば、帰属感をさらに高められそうだ。資金と技術のある企業が人手をかければ街づくりはできるが、もっと大事なのは「心づくり」ではないだろうか。

■「冒険」をすること

佐田 栞(会社員、24歳)

「冒険をすること」。これが私の生きる喜びだ。大げさに聞こえるが、いつもどおりの日常でも「冒険」できるかは自分次第だ。近くで落とし物をした通りすがりの人に「手袋落としましたよ」と勇気を振り絞って声を掛けてみる。休日の朝、眠たい目をこすりながら自転車にまたがり、前から気になっていたカフェに足を運んでみる。いつもは祖父母が私に電話をかけてくれるから、たまには自分からかけてみる。もちろん、本当の意味の「冒険」も大好きだ。あまり多くの人が行ったことのない国に滞在するという決断をしたり、周りと違う決断であっても、自分が納得する進路を信じて貫いたり、あえて慣れ親しんだ土地を離れ、自立すると決めたり。成功するかどうかなんて分からない。ただ、「冒険」をしてみようという姿勢、またそれに全力で取り組み、何かを学び、得ようとする行動自体に価値があると思うし、その行動一つ一つに喜びを感じるのだ。

■知る喜び

神杉 晴子(主婦、48歳)

私にとって生きる喜びは「知る」ことだ。「世界はなぜこのようになっているのか」が小さい頃からの疑問で、身の回りから国家や経済、科学まであらゆるものに対象は及ぶ。一番の情報源は図書館。新着本ページをワクワクしながら開き、気の赴くままに惹かれるタイトルをクリック、様々な世界の扉をノックする。その先には果てしない世界が広がり、自分なりに眺め、解釈し、知るを楽しむ。知ることは喜びの対義語である悲しみや不安を取り除いてもくれる。日々の不安から社会の問題まで、客観的な視点を与える道しるべとなる。リソースは本だけでない。人と出会いつながり教えられ、多くの助けや喜びを頂いてきた。コロナ禍も知を与えてくれた。家庭から社会に一部戻った私は何ができるか模索するばかりだったが、コロナ禍によって時間ができ、本の世界を広げ、行動制限が緩和された今は、人との出会いやつながりに改めて多くの知と喜びをもらっている。

大和ハウス工業・芳井敬一社長の講評

年初ということもあり、読者の皆さまから、明るいプラス志向、前向きなご意見をたくさんいただきました。応募数は昨年より大幅に増え、これまでで最多となりました。ありがとうございました。

人とのつながりの中で、自分の喜びを見いだす方が多かったです。「対面で得る充足感」は、ちょっとした自分の特技や強みを生かして、身近なコミュニティーに貢献したいという考え方が素晴らしいです。コロナ禍でリモートは進みましたが、ご近所で声をかけ合い、困ったら助け合う。そんなすてきな街を私たちはつくっていきたいです。

「若者を育てる」にも共感しました。年齢が高いことは決してマイナス要因ではない。自分の心持ちひとつで、社会の役に立てる存在であることを、多くのシニアに感じてほしいです。会社の中でも、シニア社員と若手社員のコミュニケーションが円滑な組織は伸びています。私たちもシニア層を生かす組織でありたい。

「世界が広がる」は20歳の大学生の前向きな志向に頼もしさを感じました。自分とは価値観が違う人とも進んで交流し、自分の世界を広げるという考え方は、世代を超えて広がってほしいです。

人とつながること、社会とつながることで、私たちは自分自身のコミュニティーの面積を少しずつ、広げていきたいものです。そのために何をすればいいか。特技を生かして人の役に立つのもいい。若者を育てることで自分も成長できる。自分とは合わないと遠ざけていた人から教わることもあるでしょう。こうした姿勢が自分の幅を広げ、生きる喜びにつながっていくと思います。

「ここはいいコミュニティーだな」と、皆さんが感じるような街をこれからもつくっていきたいです。時代の変化に合わなくなった大規模団地をリニューアルするリブネスタウンプロジェクトは、その象徴的な存在です。皆さんの生きる喜びを実感できる街をつくっていきます。

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いただいた提言の60%を10代から20代の若者が占める一方、20%を60歳以上が占めるなど、いつもの未来面よりシニア層が多かったです。人や家族とつながること、子どもや部下の成長を支えること、自分の暮らす家や街に目を向けることなど、人生経験を重ねたシニア層ならではの、味わいのある提言が目立ちました。

誰でも自由に弾けるピアノ、長年乗ってきたバイク、かわいい愛犬など、生きる喜びを感じる素材は、私たちの身近にあります。我が街の商店街、公園、図書館など皆さんが挙げてくださった場所で、喜びを探してみようと思いました。

(編集委員 鈴木亮)

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