住友林業最高顧問 矢野龍(7)3度泣いた母
晩年まで「夫は生きている」 シベリア行きを願い続けて
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僕の母は心の広い、気丈な人だった。とても強い運勢を持つと言われる五黄の寅(とら)、1914年の生まれだ。ちなみに五黄の寅は36年に一度だから、2022年の今年もそうだ。生きていれば108歳になる。書道の高段者で、一つの道を極めることを知っている人でもあった。
そんな母が、僕の前で3度泣いたことがあった。
最初は旧満州(現中国東北部)から日本に引き揚げてきて2年ほどたった頃に、国から父が戦病死した...

住友林業で社長、会長を歴任し、最高顧問を務める矢野龍さんは1940年、旧満州(現中国東北部)で生まれました。敗戦で山口県に引き揚げ、自由気ままに育った自然児で、高校も大学の入試も合格点すれすれだったといいます。縁あって公立の北九州大学外国語学部に入学し、実用英語を学んだことで住友林業が初めて募集した海外駐在員枠で採用されました。入社4年目、矢野さんは米シアトルの駐在員として北米大陸の森林地帯をヘリに乗り、水を得た魚のように飛び回ります。もっとも米国住友林業の責任者として2度目のシアトル駐在時には、現地で訴訟の当事者となり、辛酸をなめる経験もしました。大企業の経営者としては異色の道を歩み、人間味あふれる矢野さんが住友林業の未来までをつづった読みどころ十分の連載です。