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終戦の日に考える 「小さき人々の物語」

編集委員 井上亮

think!多様な観点からニュースを考える

77回目の終戦の日である。何かの節目というわけではないが、今年の8月15日を例年とは違った思いで迎える人も多いのではないだろうか。

20世紀の悪夢である2度の世界大戦が再現されたような戦争が、いまウクライナで進行している。その影響がエネルギー、食料危機として世界に降りかかり、私たち日本人にとっても対岸の火事ではなくなった。

世界は再び冷戦時代のように分断・対立の位相に入り、対ロシアおよび台湾有事を想定した対中安全保障論議に熱が入っている。「地政学」が今年のトレンドワードになりそうだ。

戦場で直面する戦争のリアル

これらは戦争をめぐる「大きな物語」である。しかし、そこから戦争のリアルは感じられない。昭和の悲惨な戦争を経験し、平和国家を標榜している国の国民としては、戦場に置かれた人間が直面するリアルに思いをはせてみたい。それは「大きな物語に投げ込まれてしまった、小さき人々の物語」(スベトラーナ・アレクシエービッチ著「戦争は女の顔をしていない」、岩波現代文庫より)でしか見えてこない。

第2次大戦の独ソ戦に従軍したソ連軍の女性兵士ら500人以上にインタビューし、一人ひとりが遭遇した戦争のリアルを掘り起こしたアレクシエービッチはノーベル文学賞を受賞した。彼女は「小さな物語」にこそ戦争の真実が表れると言う。人間を虐げ、踏みつける戦争を考えるための「大きな思想」には「ちっぽけな人間が必要」だと説く。

破壊された戦車、建物の映像や戦死者の数などの情報を日々目にする。ただ、それはリアルの外皮にすぎない。ミサイルや砲弾に直撃された人間はどうなるのか。悲惨に過ぎて映像は報道されていないが、それこそが戦争のリアルである。それを知るためには、その場にいた人間の物語をすくい取っていくしかない。

ウクライナに対するロシアの侵略は歴史の裁きを受けることになるだろうが、戦場の小さな物語を発掘するルポルタージュ、文学は旧ソ連、ロシアの作家に多い。アレクシエービッチはウクライナで生まれたベラルーシのジャーナリストだ。

19世紀のロシア人作家ガルシンは露土戦争(ロシア・トルコ戦争)に従軍した経験から短編「四日間」を書き上げた。死亡した敵兵を前に自身も負傷して身動きできず、水も食料も尽きて死を待つ4日間を過ごす。目前の敵の死体は腐敗して恐ろしい死の形相になり、悪臭を放ち続ける。

主人公は故郷から遠く離れた戦場で戦う意味を考える。自分は殺人以外に何をしたのだろうか、と。数ある戦場のなかの〝ちっぽけな〟物語であるが、戦争のリアルを描いた秀作として名高い。

人間を踏みにじる戦争の「顔」

「戦争は女の顔をしていない」にはガルシンの小説を上回る戦争の残酷な物語の数々が紹介されている。そして、日本にも戦場の小さな物語を集めた歴史資料がある。その代表例が今年本土復帰50年を迎えた沖縄で庶民の戦場体験を記録した「沖縄の証言」(中公新書、1971年刊行)だ。

2つのまったく異なる戦場の物語を読むと、戦争は「同じ顔」で人間を踏みにじることがわかる。沖縄戦では避難民のなかの赤ん坊や幼児が足手まといになるとして、日本兵が「処分」を命じた話が数多く伝わっているが、独ソ戦でも同様の事実があった。

また、「生きて虜囚の辱めを受けず」と捕虜になることを「悪」とみなしていたのは日本だけではなく、旧ソ連軍でも同様の考え方があったという。捕虜になった兵士は裏切り者として迫害された。

撤退する際に重傷者を置き去りにせざるを得ず殺害する話、木の根も食いつくすような飢え、水を欲し続けて息絶える兵士と市民――。独ソ戦と沖縄の戦場のなんと似かよっていることか。アレクシエービッチは「戦争は人間の本質に触れるもっとも主要なもののひとつ」だと言う。

それはこれら負の面だけではなく、救いの意味も含んでいる。家族を殺されたにもかかわらず負傷したドイツ兵の治療をするソ連軍医師。ドイツ人全員を憎むと誓ってドイツ領内に進攻したが、飢えた子供たちを見過ごすことができず、食料をかき集めて与えた軍関係者の話がある。小さな物語でしか伝えられない、これも戦争のリアルである。

いまウクライナの戦場でどんな物語が生まれているのだろう。独ソ戦の証言集では、砲弾で破壊された戦車の乗員の悲惨な状態が記述されている。ベストセラー「独ソ戦」(岩波新書)の著者で軍事史の専門家である大木毅氏によると、砲弾のダメージは現代の戦車も同じだという。同氏は「対戦車ミサイルが命中すると、装甲を貫いて戦車内部に液状になった金属と高温のガスをまき散らし、乗員は溶鉱炉のなかに放り込まれるようなことになる」と話す。

破壊された戦車の残骸は「地獄の物語」の結果である。戦争はそのような物語の集積であり、「戦車、軍用車両〇台破壊」という数字の奥に人間がいる。ウクライナ、ロシア双方に人間の物語がある。その痛みと苦しみが理解されなければ、戦争は安易な陣取りゲームとして今後も再発していくだろう。

大木氏は独ソ戦が相手を人間とみなさず、絶滅まで追い込む「世界観戦争」だったと言う。報じられているウクライナでのロシアの残虐行為が「戦争ではともすれば起こる、ささくれた感情による戦争犯罪とみることもできるが、今回はそれ以上のものがあるようにも思える」として、ウクライナ戦争が世界観戦争になっているのではないかと懸念している。「人間」が失われた戦場は際限のない地獄と化す。

「悪魔には鏡を」

アレクシエービッチは証言を渋る人に「悪魔には鏡を突きつけてやらないといけない」と説得する。悪魔=戦争の痕跡を残すことが戦争を防ぐことにつながる。それは戦場の人間の物語を語り継ぐことである。沖縄戦の証言にも同じような言葉がある。

「こんどこそですね、二度とあんな戦争が起こったらたいへんだ、わたしたちはその経験をしたんだから。わたしたちの子供たち、子孫へ戦争のこわさを、絶対に戦争こそ起こしてはいけない、それを知らせたいためにわたしはこういうことを訴えるのです」

アレクシエービッチには文字通り小さき人々、戦争を幼き子供として経験した人たちにインタビューした「ボタン穴から見た戦争」(岩波現代文庫)という著書もある。この本でも想像を絶する戦争の悪夢が描かれている。同書には現在のウクライナ戦争を告発しているかのような一節がある。

「今でもどこかで爆弾が炸裂(さくれつ)し、弾丸がうなりをあげ、家々が木っ端みじんに爆破され、吹き飛ばされた子供用ベッドが破片と一緒に空から落ちてくるのですから。なぜなら、大戦争を起こしたい、広島の惨劇を世界中で起こしたいと望む者が、原子力の炎の中で、子供たちを水滴のように蒸発させ、花のように無惨(むざん)に干からびさせることをまたもや欲する者がいるのですから」

彼女の怒りの筆は「過去を忘れてしまう人は悪を生みます。そして悪意以外の何も生みだしません」とも書く。「小さき人々の物語」は数多く世に出ている。日本人が戦争を深く心に刻む時期であるこの8月、そのような物語を拾い集めた上で、彼の地の戦争を考えてみたい。

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