ファナック会長 稲葉善治(6)一人っ子
家に置き去り 読書好きに 父はコントロール開発任される
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川崎市立大戸小学校に入学したのは1955年。一人っ子だと過保護だったと思われがちだが、両親は放任主義。母は西洋への憧れが強く、子供の成長に親は干渉しない方針で、本人はそれを「ドイツ流の教育」と言っていた。
父も母と同様おしゃべりだったが、話題は自分のことか会社のこと。日常生活で私にああしろこうしろと命じることはなかった。大学受験の頃には進路を勝手に決めて私も反発するようになるのだが、それは後年の...

工場自動化(FA)やロボット機械で世界ダントツ企業のファナック。創業者である稲葉清右衛門さんを父にもつ稲葉善治さんは、エンジニアを志望しいすゞ自動車に入社、幹部候補生として期待されますが、父の強引な要請でファナックに移籍しました。社長に就任するとワンマン体制を軌道修正し、さらなる飛躍を導きます。独特の企業風土をもつ世界最強のロボット機械メーカーを築いた父子2代の足跡をたどります。