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インフレは「心理的なコスト」 (The Economist)

The Economist

インフレの高進は米国で始まったが、他の先進国にも広がっている。富裕な先進国中心の経済協力開発機構(OECD)加盟国の2月の消費者物価指数(CPI)は前年同月比で7.7%上昇し、30年以上ぶりの高い伸び率を記録した。オランダでは3月の物価上昇率が10%に迫り、米国の水準をも上回った。エストニアでは15%を超えている。

インフレ高進に対し、各国の中央銀行はどのくらい厳しい態度で対処すべきか。その答えは、インフレがどの程度の弊害をもたらしているかによって異なる。そして、誰に尋ねるかでも変わってくる。

インフレが経済にマイナスをもたらすとみなされるのは、人々の貯蓄が目減りするのとともに、価格シグナルをゆがめるからだ。インフレが経済の崩壊をもたらした事例は確かにある。

1920年代にハイパーインフレに見舞われたワイマール時代のドイツでは、国民の預金は価値が失われ、中間層が消えてファシズムの台頭を招いた。ジンバブエもムガベ大統領(編集注、2017年に失脚)の政権下でインフレに歯止めがきかなくなった。価格シグナルが崩れると、数百万人が食料難に陥った。

インフレと生活水準との関連性を希薄とみる経済学者

しかし、今日のようにそこまでインフレが深刻ではない場合、インフレの経済的な実害を裏付ける証拠は実は乏しい。一般的に懸念されているのは、物価の上昇が賃金の上昇ペースを上回り、実質賃金が目減りすることだ。これこそ、まさに先進国でこの数カ月間起きていることだ。米国では22年3月までの1年間で、時間当たり実質平均賃金が3%近く低下した。

だが、経済学者は総じて、インフレと労働者の実質的な生活水準との関連性は希薄であるとみている。物価が賃金の伸びを超えて上昇する場合もあれば、そうはならない場合もある。

事実、英国では1970年代の高インフレだった時期に実質賃金は力強く伸びた。75年に発表されたある研究結果によると、それまでの10年間の米国労働者の賃金は労働組合の組合員であるかどうかにかかわらず、インフレ率を上回る伸びを示した。

本誌(The Economist)が90年まで遡ってOECD加盟35カ国のデータを調べたところ、インフレ率が5%を超えた年には実質賃金がおおむね伸びていた。インフレはすでに就業している労働者にマイナスに働くが、失業者の就業を後押しすることもある。

実際、英国では2007~09年の世界的な金融危機後に英ポンドが下落してインフレが高進し、実質賃金が低下した。おかげで企業は採用人員を増やすことができた。

インフレで価格シグナルがゆがめられるのも経済的コストとみなされているが、この説もインフレがさほど深刻でない場合には誇張されている。資本主義の下では、相対価格の動きに基づいて経営資源が配分される。

つまり、たとえばもし自動車価格が自転車価格を上回って上昇すれば、自動車の生産がいずれ増えるはずだ。懸念されているのはインフレがこのプロセスに混乱をもたらし、自動車と自転車の「実際の」相対価格をわかりにくくすることだ。

しかし、米カリフォルニア大学バークレー校のエミ・ナカムラ教授らは18年に発表した論文で、同質の商品の長期的な価格分散を調べたところ、70年代の高インフレ期でも、インフレ率がはるかに低い新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)直前の時期より「最適水準の価格からの乖離(かいり)が大きいという証拠はなかった」と論じている。

従って、「インフレ率が低い場合は最適水準の価格との乖離が最も少ないという結論は見直す必要がある」と結論づけている。

こうした質の高い論文は、数十年前からインフレと経済成長の関係を疑問視して進められてきた広範な研究を裏付けている。国際通貨基金(IMF)が14年に公表した論文には「1桁台の物価上昇のコストを明らかにしようとする実証的な研究すらほぼない」と記されている。

96年には当時世界銀行に勤務していた経済学者のマイケル・ブルーノ氏とウィリアム・イースタリー氏が「年間インフレ率が40%未満の場合、インフレ率と経済成長に何らかの関係があることを示す証拠はない」と論じた。翌年にはノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン氏が「インフレはもっぱら災禍とみなされているが、研究で導き出されたそのコストは当惑するほど小さい」と記述している。

一般の人々に毛嫌いされるインフレ

では、先進国が今日直面しているインフレのコストは微々たるものなのか、それとも皆無とさえ言えるのか。経済学者にとって厄介なのは、研究領域外の世界があることだ。経済学者の研究結果を知っている人も、気に掛ける人も多くはない。だが、みんな自分がインフレをどう見ているかは知っている。彼らはあくまでも徹底的にインフレを毛嫌いしている。

インフレは人々の意識の中で特別な位置を占めているようだ。本誌が英語で書かれた記事とブログ記事を調べたところ、2010年代にはインフレより失業の方がはるかに大きな経済問題であったにもかかわらず、インフレへの言及は失業への言及を50%上回っていた。

90年代にはのちにノーベル経済学賞を受賞する米エール大学のロバート・シラー教授が世界の多くの国々で人々にインフレについての意識調査をし、経済学者の見解と比較した。その結果、仕事でインフレについて研究している学者よりも一般の人々のほうが、インフレにかなり極端な意見を持っていることがわかった。

インフレ退治にはポピュリスト的な側面も

人々はインフレは自分たちの経済状態を悪くすると考えている。将来の計画を立てにくくすると警戒している。さらにインフレを悪化させているのは、悪徳企業が便乗値上げをしているからだともみなしている(米国人の3人に2人は、現在のインフレ高進が強欲な企業のせいだと考えている)。

これに対して、経済学者の回答はより曖昧である。高インフレを防ぐことは薬物乱用の防止や教育水準の維持と同様に重要であるとの見方に「全面的に賛成した」米国人が半数を超えたのに対し、同じ意見の経済学者はわずか18%だった。

同じシラー氏の調査でインフレが急伸したら政府に物価引き下げ(つまり、デフレを引き起こすこと)を求めるとの回答は一般の人々が46%に達したのに対し、同じことを政府に進言すると答えた経済学者はほとんどいなかった。

ならば政策決定者らは、一般の人々の意見を無視すべきなのだろうか。もし専門家らの研究の結果、インフレに伴うコストが微々たるものにすぎないということが判明しているのであれば、政策を決めるにあたりそれ以上参考にすべき情報はないだろう。ただ、別の見方をすれば、もし高インフレへの心理的コストが大きいのだとすれば、各国の中央銀行や政府はそのことを念頭に置くべきだ。

財政や金融政策の引き締めによってインフレを抑え込もうとすることは、経済を冷やし、景気後退を招くリスクがあるだけに容赦のない手段だとみられている。だが、インフレを人々が毛嫌いしていることを考えると、インフレと戦うということはある面、最もポピュリスト的な政策を打つということを意味する。

(c) 2022 The Economist Newspaper Limited. April 23, 2022 All rights reserved.

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