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「日経アジアアワード」に培養エビのシオック・ミーツ

日本経済新聞社は「日経アジアアワード」の第1回の受賞者を、シンガポールの食品テック企業「シオック・ミーツ」に決定した。

日経アジアアワードは2021年に創設し、1996年から毎年表彰してきた「日経アジア賞」を衣替えした。アジア諸国・地域で始まり、自由で豊かな経済社会の実現を後押しする活動の担い手を表彰する。

ビジネスや調査研究、技術開発、社会・芸術活動などの分野を対象に、国内外の推薦(他薦のみ)から、新規性や革新性に富む「アジア発のイノベーション」を選ぶ。副賞は500万円。

シオック・ミーツはエビやカニなど甲殻類の培養肉開発を手掛けている。食糧問題や環境問題といった世界規模の課題をビジネスで解決することを目指している。2020年9月には東洋製缶グループホールディングスから出資を得た。

食糧問題 培養エビで挑む

甲殻類の培養肉開発を手掛けるシンガポールの食品テック企業、シオック・ミーツはシンガポール科学技術研究庁(ASTAR)で同僚だったサンディヤ・シュリラム氏(36)、リン・カーイー氏(34)の2人が2018年8月に創業した。少量の細胞から代替肉を生産できる培養は海洋資源を傷つけることなく、人口増加による食料需要の拡大に対応できる大きな可能性を秘めている。

シンガポール西部ジュロン・ウエストの工業地区。食品テックのスタートアップを支援する施設に、小型の2リットルから最大200リットルまで幾つもの最新のバイオリアクター(生物反応槽)が並ぶ一角がある。白衣に身を包んだ若い研究者が培養肉の商品化に向けて、甲殻類の細胞の増殖に最適な条件を探る作業を繰り返す。11月22日に開業したばかりのシオック・ミーツの小型工場で連日、見られる光景だ。

シオック・ミーツは18年8月、サンディヤ・シュリラム氏とリン・カーイー氏の2人の女性の幹細胞研究者が立ち上げた。当初は誰からも支援を得られず、離島のセントジョンズ島にある大学の海洋研究施設を利用するため、毎朝フェリーで通った。投資家にメールや直接の面談で資金協力を依頼した回数は5000回にも達した。

苦難の日々から3年余り。「来年には商業生産用の工場を建設し、23年半ばには培養肉の販売を始める。おおむね計画通りだ」。最高経営責任者(CEO)のシュリラム氏は今、自信に満ちている。日米欧韓など世界各地の投資家から調達した資金は3000万ドル(約34億円)に上る。

シオック・ミーツが手掛けるのは甲殻類の培養肉の開発だ。エビなどの細胞を取り出し、アミノ酸やたんぱく質などの栄養素が入った液体の中で4~6週間培養し、ミンチ状の肉を作り出す。高度な生物学の知識が必須であるほか、生物反応槽など高額の設備も必要となるために、参入する企業は多くない。

特に甲殻類の培養に挑むスタートアップ企業は世界でも数えるほどだ。シオック・ミーツはそんな最先端分野で、エビやカニ、ロブスターの培養肉の開発にいち早く成功したフロントランナーだ。

甲殻類を対象に選んだのは、アジアの置かれた環境と密接に結び付いている。エビはアジア料理に欠かせない食材だが、エビの養殖場を作るために、大量のマングローブ林が伐採されている。天然エビ漁では意図せず網にかかった別の魚介類は廃棄されるため、大量の水産資源が無駄になる。

一方、人口の増加や所得の向上に伴い、アジアの食品消費額は19年の4兆ドルから、30年には8兆4000億ドルに倍増する見通しだ。「地球環境問題を抱えた水産業を技術の力で変革することは喫緊の課題だった」(シュリラム氏)。シンガポールのグレース・フー持続可能性・環境相も「シオック・ミーツの技術は多くの土地や水を使わず、二酸化炭素(CO2)も排出しないで培養肉を作り出す革新的な手法だ」と期待を寄せる。

代替肉や代替魚介類の開発は、大豆やこんにゃくなど植物由来の原料を使う企業が商品化では先行している。培養よりも技術的に簡単なためで、米インポッシブル・フーズなどが代表格だ。ただ、シオック・ミーツは培養技術の方が、実際の肉や魚介類に限りなく近い味や栄養素が再現できる可能性が高いとして、将来的な市場拡大が期待できるとみている。

試作の段階は超えた今、残る大きな課題は生産コストの引き下げだ。培養エビでは創業当初の1キログラム当たり1万ドルから、800~1000ドルまでコストは下がっている。とはいえ、天然のエビと遜色のない価格で販売するには少なくとも1キログラム当たり50ドルまでコストを下げる必要がある。

シオック・ミーツは高コストの要因である培養用の栄養素の改良と、生産効率化によって22年半ばまでに50ドルを達成する計画を打ち出している。数千リットル級の大型の生物反応槽を備えた工場を造り、政府から販売の認可も得たうえで、23年半ばに飲食店に培養エビを供給するのが目標だ。培養エビを使ったギョーザやシューマイなどの冷凍食品もスーパーなどで販売する。

23年時点の生産量は年間5~6トンと少量にとどまる見通しだが、シュリラム氏は「甲殻類だけでなく、肉や魚も含めた培養産業で世界のリーダーになる」と壮大な将来構想を掲げている。8月には牛肉や豚肉などの培養肉を開発するシンガポールのガイア・フーズを買収し、早速布石を打った。独自の培養技術の製造ライセンスを提携する企業に供与し、東南アジアや東アジアの各国に販売地域を広げることも視野に入れる。

20年12月に12人だった社員数は、この1年間で32人に増えた。最先端の知識を持つ研究者を世界から募った結果、社員の3割は欧州やインド、中国など海外からの採用組で、6割が女性だ。「技術の力で世界中の人々に健康な食品を届け、飢餓や栄養失調をなくしたい」。2人の創業者の掲げたビジョンは多様性に富んだ仲間とともに、一歩一歩実現に向かっている。

(シンガポール=中野貴司)

リケジョ2人が創業

最高経営責任者(CEO)のサンディヤ・シュリラム氏はインド出身で、生物工学を修了後、より高い研究水準を求めてシンガポールの南洋工科大学の博士課程に進んだ。米国の大学で博士号を取得したリン・カーイー氏(最高技術責任者=CTO)と出会ったのは、2人の就職先のシンガポール科学技術研究庁(ASTAR)だった。

ともに幹細胞の専門家の理系の女性(リケジョ)だが、リーダー型のシュリラム氏が経営全般を、学究肌であるリン氏が研究開発の責任者と明確に役割を分担している。2018年の創業以来、必ず1週間に1時間は2人で話し合う時間を確保し、経営や開発の軸がぶれないよう努めてきた。プライベートでも家族ぐるみの付き合いを続ける仲だ。

菜食主義者の家庭で育ったシュリラム氏は、友人に勧められて時に肉や魚を口にすることはあったものの、動物を殺傷しているとの思いが拭えず罪悪感に駆られてきた。「自分で作った培養肉なら、どうやって作られたかが分かるから安心して食べられる」。リン氏も最近は菜食が中心の「フレキシタリアン」に転向しつつあるという。

審査を終えて アドバイザリーボード委員長 御手洗冨士夫氏

2021年に創設した「日経アジアアワード」の記念すべき初代の受賞者が決定した。「アジア発のイノベーション」の担い手に光を当てることは、世界規模の様々な課題をこれから解決していこうとするアジア地域の老若男女や様々な団体を励まし、勇気づける、意義のある取り組みだと考えている。

決定に至る過程で、日本を含めたアジア各国の有識者らがオンラインで集まり「アドバイザリーボード(諮問委員会)ミーティング」で検討した。「イノベーションとは何か」といった熱い議論が交わされ、アジアの将来を開く活動について多方面から検討を重ねた。

アジアの価値観を反映したイノベーティブな活動の担い手として、アジアの多様な視点から選び抜かれたのが今回の受賞者、シンガポールのシオック・ミーツである。エビやカニといった、アジアの人々にとってなじみのある甲殻類に特化して培養肉を作っている。

高い評価を集めたのは、同社の技術や商品が食糧問題の解決を目指すことにとどまらない。事業を通じ、天然漁が抱える乱獲問題や別種の海産物の破棄問題、養殖場の建設による環境破壊といった、既存の食材調達方法が地球環境に及ぼす負の影響に対して、水産品の培養肉の商業化という一つの解を示している点こそ、イノベーションと呼ぶに値するであろう。

インド出身の最高経営責任者(CEO)は母国とシンガポールで学位を取得し、シンガポール出身の同僚女性と共同でシオック・ミーツを起業した。同社の成り立ちもまた、「アジアの多様な価値観を反映し、自由で豊かな経済社会の実現を目指す」という日経アジアアワードの理念にかなったものである。

今年、立ち上がったばかりの日経アジアアワードに対し、国内外の様々な団体や有識者のみなさまから多数のご推薦をいただいた。ご協力に心から感謝を申し上げつつ、引き続き、発展に向けた支援をお願いしたい。

日経アジアアワードとは


日本経済新聞社は自由で豊かな経済社会の実現を後押しするため、アジア発のイノベーションを表彰する「日経アジアアワード」を2021年に創設した。
1996年に始めた前身の「日経アジア賞」は主に日本からの視点で審査してきたが、アジア諸国・地域が著しい経済成長を遂げたことなどを踏まえ、新設したアドバイザリーボードのメンバーの約半数は同諸国・地域の有識者から任命。広く推薦を募り、対象を年1回選び、毎年12月に発表する。

アドバイザリーボードの顔ぶれ


・アドバイザリーボード委員長=御手洗冨士夫キヤノン会長兼社長最高経営責任者(CEO)
・メンバー=ブラーマ・チェラニー・インド政策研究センター教授▽鄭雲燦(チョン・ウンチャン)・韓国元首相▽林佳世子・東京外国語大学長▽木谷哲夫・京都大学イノベーション・マネジメント・サイエンス特定教授▽北岡伸一・国際協力機構(JICA)理事長▽飯島彰己・三井物産顧問▽中尾武彦・みずほリサーチ&テクノロジーズ理事長▽クリスティナ・ソー・ナンヤン・ビジネス・スクール(シンガポール)学長▽ソムギャット・タンキットワニッチ・タイ開発研究所所長
(アルファベット順)
※日経アジアアワードでは前身の日経アジア賞で設置していた審査委員会ではなく「アドバイザリーボード」を設けています。

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