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デジタル人民元の過大評価は無用(The Economist)

The Economist

事務職のルー・チンチンさん(24)は、スマートフォンの画面を数回タップして金融の未来に飛び込んだ。中国広東省の深圳市で2020年末に行われた「デジタル人民元」の実証実験で、対象者5万人の1人に選ばれたのだ。彼女は専用アプリをダウンロードし、政府から200元(約3400円)を受け取って本を買いに行った。アプリ画面には従来の紙幣が表示され、「本物のお金のような感じだった」という。

デジタル人民元はデジタル通貨の発行を検討する多くの国々の通貨当局から関心を集めている=ロイター

法律上、これは現金と同じ価値を持つ。商業銀行6行のうちの1行が専用アプリに配布するデジタル人民元は、中国人民銀行(中央銀行)に預け入れた同額の預金に裏付けられている。人民銀行が紙幣と同じようにデジタル人民元を保証する仕組みだ。例えば、ルーさんのデジタルウォレット(電子財布)を設定した商業銀行が破綻した場合、彼女のデジタル人民元(個人識別番号にひもづけられている)は新しい財布に移される。

デジタル通貨をいち早く導入する中国

世界各国の中央銀行は紙幣や硬貨のデジタル版の発行を検討している。中国は一番乗りにはなれない(その栄誉はカリブ海のバハマに贈られる)が、導入する国としては最も重要な存在だといえる。

中国はモバイル決済で世界をリードしている。昨年来の実証実験ですでに50万人以上がデジタル人民元を受け取った。人民銀行はこれを海外に広める方法を検討している。英歴史学者のニーアル・ファーガソン氏は、中国に「未来のお金をつくらせる」ことの危険性に目を光らせるよう、米国に注意を促している。

デジタル人民元は当初、中国のモバイル決済大手に対する歯止めとして考案された。ただ、現在はその導入の狙いには3つの仮説があるとされている。①中国の監視能力を飛躍的に強化する②国家による通貨管理の権限を大幅に拡大する③ドルの覇権に挑む――というものだ。

しかし中国の経済学者の多くはさほど強気の見方を示していない。デジタル人民元の設計と中国の経済システムの性質からすると、そうした仮説がすぐに実現するとは考えにくい。中国金融改革研究院(上海)の劉勝軍氏は「デジタル人民元は魔法ではないため、そこから魔法が生まれるとは思わない」と話す。

言われている狙いを1つ目から見ていこう。まず、デジタル化は絶大な監視能力をもたらし、国家がすべての支出を追跡できるようになるという。これは完全な間違いではない。だが、既存の監視能力を考えるとさほどメリットはない。

現在、ほとんどのモバイル決済にはアリババ集団系の「支付宝(アリペイ)」や騰訊控股(テンセント)の「微信支付(ウィーチャットペイ)」の個人口座にひもづけられた銀行カードが必要で、中央清算システム「網聯」を経由することが義務付けられている。

これと同様に、外国為替取引は人民銀傘下の中国外貨取引センターで行われる。どちらの場合も規制当局は人々がお金をどう使っているかリアルタイムで把握できる。業界関係者によると、銀行を経由しないモバイル決済の場合、当局は記録提出を求めることができるうえ、近くリアルタイムの報告も義務付ける可能性があるという。

要するに、デジタル人民元を発行しなくても、規制当局には昔ながらの現金決済を除けば、もはや死角は残っていない。しかもスマホ決済を敬遠する高齢者が何百万人といる以上、政府は現金を廃止していくわけにもいかない。

金融システムの弱体化を警戒

デジタル人民元の2つ目の仮説は、中国の金融政策を刷新するというものだ。この見方によれば、中銀は特定の目的で決まった時間にお金が使われるよう設定することが可能になる。だが、これは中銀が今すでにできることを過小評価しているばかりか、デジタル通貨導入で可能になることを過大評価している。

中国はかねて様々な分野を念頭にマネーサプライと金利を操作している。例えば15年以降は、手ごろな価格の住宅建設を支援するため数千億元を供給してきた。最近は中小零細企業向け融資の金利引き下げを銀行に指示している。

デジタル人民元を導入すれば、政策の対象をより細かく絞り込めると思えるかもしれない。だが、その設計が障壁となり、役割は制限されるだろう。人民銀行はベースマネーのごく一部をデジタル人民元に置き換え、マネーサプライの残りの部分はそのままにする方針で、市中銀行を通じて一般市民に流通させる。デジタル人民元には利息がつかないうえ、保有額の上限は低く設定されるとみられる。

確かに、人民銀はいずれデジタル人民元の役割を拡大するかもしれない。しかし、制約が存在するのには理由がある。政府は金融システムの弱体化を警戒している。預金者が銀行預金を一斉にデジタル人民元に切り替え、銀行の資金繰りが厳しくなる事態は避けたい。

さらに、政府が銀行の融資方法を直接コントロールできるよう、マネーサプライを完全にデジタル人民元とする案は、政府の有力な経済学者にはほぼ支持されていない。人民銀の元金融政策委員である余永定氏は「中央計画経済に戻りたいとは思わない。戻るのは間違いだ」と語る。

人民元の国際的地位向上には限界

最後の仮説は、デジタル化で人民元の国際的地位が一気に高まるというものだ。だがこの見方は、今日の国際決済に占める人民元の比率が、カナダドルとほぼ同じ2%にとどまる理由を誤解している。企業や投資家はどの通貨を用いるか決める際、他通貨との交換性や投資の自由度、発行国の法制度に信頼が置けるかどうかを考慮する。

中国が他の主要国よりはるかに厳しい資本規制の維持にこだわっていることやその政治体制に対する根強い不信感が、人民元の魅力をそいでいる。制約要因は政策や政治であって、技術ではない。

ただ、デジタル人民元は技術的な裏付けすら明確とはほど遠い。海外から中国に、中国から海外に送金する際、企業はすでにデジタル方式を採用している。国際銀行間通信協会(SWIFT)のシステムで銀行に電子メッセージを送信し、ある国の口座への入金と別の国の口座からの出金を指示している。処理に時間がかかるのは、中国の資本規制やマネーロンダリング(資金洗浄)対策などの国際規制への適合を確認するためだ。

デジタル人民元を導入してもそうした確認作業はなくならない。しかも、ベルギーを本拠に1万1000社余りの金融機関を結ぶSWIFTのシステムは、国境を越えて支払い情報を共有する最も効率の良い手段であり続ける可能性が高い。政府系シンクタンク、中国社会科学院の劉東民氏は「長期的にみても、SWIFTは不可欠であり続ける」と指摘する。

シェアは限られるが技術には破壊力

デジタル人民元は3つの誇大な仮説こそ実現しないかもしれないが、デジタル決済分野に参入する足がかりを中銀に与えるという当初の目標は達成できるだろうか。できるかもしれないが、巨大なシェアを握ることはないだろう。

冒頭のルーさんは、支払いの一部にデジタル人民元を使うつもりだが、電子商取引(EC)やSNS(交流サイト)のネットワークと連動しているアリペイやウィーチャットペイの方がはるかに便利だと話す。中国金融改革研究院の劉氏は、他の人々も同様だとみている。同氏は3年後にデジタル人民元がモバイル決済全体に占める割合は5%に満たないと予想している。

独自のデジタル通貨発行を検討している西側諸国の政府や中銀は、デジタル人民元の実験から何か教訓があればいいと思っているかもしれない。しかし、中国は競争にさらされていない金融システムや複雑な資本規制、モバイル決済の市場規模など非常に多くの点で異色の存在なため、同国の経験は特異なケースとなる可能性が高い。

他国がデジタル通貨に異なる設計を施すことは必至だ。それでも、デジタル人民元に対する中国の慎重姿勢は少なくとも、制約さえなければ、この技術がどれほどの破壊力を持ち得るかを示唆している。

(c)2021 The Economist Newspaper Limited. May 8, 2021 All rights reserved.

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