教職員、津波予見の可否争点 大川小の損賠訴訟
宮城県石巻市立大川小の児童の遺族が起こした訴訟は、津波が押し寄せる危険性を教職員が予見できたかどうかが大きな争点だ。しかし、被災時に在校していた教職員のほとんどが亡くなっており、震災から3年以上過ぎたこともあって、遺族側の立証は困難も予想される。
震災から2年近く経過して本格的な活動を始めた第三者の検証委員会は、津波にのまれながら助かった児童らを含め、延べ200人近くから聞き取りをするなど、精力的に調査した。
検証委は、大川小がハザードマップで津波浸水区域ではなかったことや、防災態勢が不十分だったとの事情を挙げ、教職員の危機感は強くなかった可能性があるとしたが、いずれも指摘は推測にとどまり、詳細は明らかにできなかった。
大川小以外の津波犠牲者の遺族が管理者側に賠償を求め、これまでに判決が出た訴訟でも、津波の予見性が争点となった。石巻市の私立日和幼稚園訴訟では「最大震度6弱の揺れが続いたことから、津波を容易に想像できた」と判断。情報収集を怠り、送迎バスを海側に向かわせ園児が犠牲になったとして、園側に賠償を命じた。
支店屋上に避難した従業員が犠牲となった七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の訴訟では、逆に「屋上を超える巨大津波の予見は困難」と指摘。同県山元町立東保育所の訴訟でも「情報収集したとしても、海岸から1.5キロ内陸の保育所までの津波到達は予見できなかった」とした。〔共同〕