「守れた命だった」 大川小訴訟、法廷に悲痛な叫び響く
仙台地裁で19日にあった大川小訴訟の初弁論で、遺族たちは声を絞り出すように訴えた。「子供たちは先生の言うことを聞いて、ひたすら待っていた」「守れた命だった」。あの日何が起きたのか。真実を求める悲痛な叫びが法廷に響いた。
遺族らは児童の遺影を掲げて地裁に入った。原告の鈴木実穂さん(45)は震災の朝、自転車で学校に向かう6年の長男、堅登君(当時12)、4年の長女、巴那ちゃん(当時9)の姿を今も鮮明に覚えている。
堅登君は震災から8日後、学校から約1キロ離れた川岸で遺体で見つかり、巴那ちゃんは3年2カ月が過ぎた今も行方不明のまま。「『私を捜して』。娘にそう言われているようで、現場を1日も離れることができませんでした」と陳述した。
「津波にのまれるのがどれだけ怖いことか、息子の最期を想像するたびに胸がはりさけそうになる」。今野ひとみさん(43)は6年だった長男、大輔君(当時12)を失った。助かった児童から、大輔君が「山に逃げよう。ここにいたら死んでしまう」と教員に訴えていたと聞き「助かりたかった息子の遺志を無駄にしたくありません」と声を震わせた。
3年だった一人息子、佐藤健太君(当時9)を亡くした父の美広さん(53)は「震災前は健太が生活の中心で、夫婦にとっては成長が生きがいでした」と被告席に向かって語り掛けた。「仕方がなかったで終わることなく、責任の所在をはっきりさせて、しかるべき処分がされるよう強く望む」と求めた。〔共同〕