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トヨタ最高顧問 豊田英二氏が死去 100歳、中興の祖

2013/9/17付
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トヨタ自動車の最高顧問で「中興の祖」である豊田英二(とよだ・えいじ)氏が17日午前4時32分、心不全のため愛知県内の病院で死去した。100歳だった。創業期からトヨタの発展を支え、米ゼネラル・モーターズ(GM)との米合弁生産を決めるなど、グローバル展開の礎を築いた。最近は療養生活を送っていたが、幹部の相談にのるなどグループの精神的な支柱となっていた。

告別式は近親者のみで行う。喪主は長男でアイシン精機会長の豊田幹司郎氏。お別れの会を行うが日取りなどは未定。連絡先はトヨタ自動車秘書部。

1936年に東京帝大(現東京大)工学部機械工学科を卒業し、豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)に入社。翌年、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)の分離独立に伴い転籍し、トヨタ自動車の創業者である故・豊田喜一郎氏(現社長・豊田章男氏の祖父)の右腕として、国産自動車の開発に携わった。喜一郎氏と英二氏はいとこ同士。英二氏は、喜一郎氏の父でトヨタグループ創始者の豊田佐吉氏のおいにあたる。

45年に取締役に就任し、主に技術開発を担当して常務、専務、副社長を歴任。67年10月に中川不器男社長(当時)の急逝を受け、同社5代目の社長に就任した。

高度経済成長期のモータリゼーションを背景に社長時代は量産体制を築く一方、徹底して無駄を排した「トヨタ生産方式」を確立。同時にスポーツカーや小型車などを相次ぎ投入して乗用車部門のフルライン体制を整え、トヨタを世界有数の自動車メーカーに育てた。83年には日米自動車摩擦の解決策の一環として、GMと合弁による米国生産を決断した。

82年7月にはトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併を成し遂げ、新会社の会長に就任。社長には喜一郎氏の長男の章一郎氏(現名誉会長)が就いた。94年9月、およそ半世紀にわたって務めたトヨタの取締役を退任した。

経団連副会長、日本自動車工業会最高顧問などの要職を歴任。90年11月に勲一等旭日大綬章、94年9月に日本人としては本田宗一郎氏に続き米国自動車殿堂入りを果たした。84年9月、日本経済新聞に「私の履歴書」を執筆した。

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