/

マラソンレース、3時間切り請負人の極意

ペースアドバイザー25年 福沢潔さん

世の中の黒子と呼ばれる存在のなかでも、これほど見事な黒子はそういないだろう。マラソン大会で市民ランナーに寄り添う「ペースアドバイザー」。3時間切り、4時間切り、5時間切りなどを目指す人に、ペース配分や給水のタイミングを助言しながら42.195キロを走りぬくが、自身の記録は残らない。この究極の黒子を25年続けている福沢潔さん(58、ミズノランニングクラブ=MRC監督)に、やりがいとは、と尋ねてみた。

福沢潔(ふくざわ・きよし) ミズノランニングクラブ(MRC)監督。1955年神奈川県生まれ。中学、高等専門学校から長距離の選手として活躍した後、市民ランナーとして福岡国際マラソンをはじめとする国内外の大会に出場。89年MRCの前身「クラブランバード」のコーチとして入会、91年監督に就任。以来、MRCのメンバーとして市民ランナーのペースアドバイザー、マラソン講習会を全国各地で実施。2002年ランナーズ賞受賞。フルマラソンベストタイムは2時間23分18秒

ゴールまでランナーに寄り添う

福沢さんが担当するペースアドバイザーは陸上競技で好記録を出すことや、レース展開を盛り上げるために(契約などで)決められた一定の距離までを走り、途中でやめることも多い「ペースメーカー」とは異なる。ペースアドバイザーはスタートからゴールまでともに走り切るが、当然自分の記録にはならない。

フルマラソンで2時間23分18秒のベストタイムを持つ福沢さんは市民ランナーの夢であるサブスリー(3時間を切るタイム)達成の請負人として名高い。

サブスリーのためには5キロあたりおよそ21分程度で走ることになる。しかし、それだとちょうど3時間程度になってしまい、終盤予断を許さないことになる。

そのため、最初は5キロを20分45秒程度で走り、疲れの出るレース後半で30秒程度ペースを落としながら、最後は2時間58分程度でゴールとなるような絶妙のペース配分でランナーを導く。坂道で遅れた分を下り坂で取り戻す。悪天候になれば自らが風よけになり、選手たちを風から守る。給水のタイミングをアドバイスする。遅れる選手にはゴールから逆算し「何分遅れていますよ」と伝える。これを高速で走りながらこなすわけで、相当の経験と、スピードのアップダウンに耐えるタフネスさが必要。仮にトップランナーであっても、この仕事は誰もがこなせるものではない、といわれている。

神経も使う。レースではサブスリーを目指す人たちを束ねて率いるのだが、ペースが「早すぎる」あるいは「遅すぎる」という訴えが、必ず出てくる。しかし、ペースアドバイザーである福沢さんが3時間ペースからはずれてしまうと「全員討ち死に」となってしまう。福沢さんはぶれることなく、あくまで自分で組み立てたプラン通りにことを運ぶようにしている。

選手とともに走るペースアドバイザー(第28回つくばマラソン)

当初は謝礼なく、交通費も自腹

「自分のレースでもないのになぜお金と時間をかけて大会に参加するのかとよく聞かれます。確かに自分のレースとして、勝手に走るほうがどれだけ楽かわかりません。けれど、そこにやりがいがあるし、価値を見出している。確かにハードですが、結局僕は趣味としてのランニング、仲間と楽しむ、そういうことの延長だと思っているんです」

福沢さんは「自分の持つ素質を100%に近い場所まで発揮してきた市民ランナー」だと自認している。そしてそれはかなりまれなケースではないか、ともいう。だから他者にも100%出し切ってほしい。「自分の経験を生かしたい。大変ではありますが、続けてきたからこそ宝物なんですよ」。一人で自分のタイムに挑むところにはおのずと限界も出てこようが、人を導くレースには際限がない。経験がものを言う、走りの別世界がそこにはあった。

福沢さんのラン人生は高等専門学校の学生時代、長距離の競技者として始まった。就職先の富士フイルムでも陸上クラブに入り、フルマラソンを100回以上走った。福岡国際マラソンも出場10度。トップランナーだった瀬古利彦さんや宗兄弟が同じレースで走っていた。

技術者として21時まで仕事し、帰宅後走った。娘2人を育てながらのトレーニングだった。

ペースアドバイザーとしての活動を始めたのは23年前、35歳のときだ。現在のMRCの前身「クラブランバード」に入会して2期目のとき。掛川マラソン(現 掛川・新茶マラソン)に出場する友人にペースアドバイザーを頼まれた。

「その友人ともう一人、同じクラブの女性が、その大会でサブスリーを狙うことになったので一緒に走ったんです。最初に頼まれた友人は結局遅れちゃったんだけど、その女性は最終的に2時間52分の記録まで持っていけた。女子でその記録だと、いろいろな大会でも上位に入れる。嬉しかったです」

現在テレビ等で行われている国際マラソン大会の公認されているペースメーカーと違って、始めた当時、ペースアドバイザーに報酬(謝礼)はなかった。交通費も宿泊費も自腹だった。しかも、かなり日陰の存在だった。

マラソン講習会での様子。中央が福沢さん

「楽しく、気持ちよく走ることが大切」

トップの大会のペースメーカーは今では常識となっているが、当時はまだ競技の純粋性や公正が損なわれるとして、競技団体の役員も顔をしかめるような時代。ペースアドバイザーに向けられる視線も、当然温かいものではなかった。

それでも「市民ランナーにも目安となる存在が必要」という福沢さんの信念は変わらず、MRCの何人かとペースアドバイザーとして本格的に活動を始め、その後15年連続で掛川マラソンのペースアドバイザーを務めた。

「僕自身が市民ランナーなので、市民ランナーたちのほしいものがよくわかる。結局は趣味の延長なんですから(ルールがどうだとか)あまり言われたくない。楽しく、気持ちよく走ることが大切。その助けをしたい」

福沢さんは14年前、当時17歳だった次女真純さんを亡くした。かろうじて持ちこたえさせてくれたのはやはりランだった。「引きこもって、ある意味逃げるというか、今までやってきた社会生活から離れるほうが楽かもしれない。そんな風にも思いましたが、それではいけないと」

告別式の1週間後、掛川マラソンのペースアドバイザーとして福沢さんは走っていた。

MRCは今年で25年になり、10人程度だった会員も46人に増えた(平成25年5月時点)。1991年にMRCの監督に就任した福沢さんはこの25年を振り返り、「市民ランナーによる市民ランナーのためのクラブ」として長く続いていることに胸を張る。各地での市民ランナー指導など、MRCのさまざまな活動のなかでもペースアドバイザーは中核となる活動だ。メンバーはサブスリーの記録を持つ人が多く、各人1か月200キロから300キロ程度の練習をこなしている。

多くの市民ランナーに出会うなかで、福沢さんは練習不足のまま大会に参加するランナーが増え、誤った指導が行われるなど、ランニングブームの副作用が出てきたと痛感するようになった。

生まれ育った小田原の町。ここで市民マラソンも参加、記録を残した

初心者、まずは走ることを習慣に

「本来、レースはとても危険なものなんです。昔は大会参加の資格に制限時間があったので、フルマラソンで5時間以上かかるような人は参加できなかった。今は制限時間がない大会が増えたから、大会に出場が決まってから練習するようなランナーが増えています。本当に危険です。速く走れるようになりたいというランナーの気持ちをあおって、ひたすらスピード練習を勧めるクラブも、故障や事故のもとを作っているようなものですね」

では、安全に速く走れるようになるにはどうすればよいのか。答えはいたってシンプル。「継続的に走ること」だ。週末だけ、思い出したように30キロ走るような練習はベテランでも危険だという。初心者は走ることをまず習慣にすることが大切。一時だけ速く走っても、タイムにはつながらないそうだ。

「ずっと市民ランナーとして活動してきたから、市民ランナーの気持ちや事情はプロよりもわかります。忙しくて週末しか走れないような人は、ひとまとめに走りたくなるでしょうが、レースは練習の延長戦だと思ってゆっくりでもいいからまず走ることを習慣化しましょう」

福沢さんは、陸上選手となってから45年間、記録をつけている。その歴史はただ「ランナー」としての記録だけではなく切り離せない「市民」ランナーとして経てきた人生の様々な転機も記載されている。

最近、医師となった長女がランニングを始めた。「娘のアドバイザーもやっています。レースが楽しみですね」。これはまた気合いが入る。

(電子報道部 松本千恵)

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

セレクション

トレンドウオッチ

新着

注目

ビジネス

暮らし

新着

注目

ビジネス

暮らし

新着

注目

ビジネス

暮らし

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン