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高校紛争から40年、その意味をいま問い直す

盛田隆二さん 9月から新連載

 9月3日から作家・盛田隆二さんの連載小説「いつの日も泉は湧いている」が始まります。小説の舞台は1969年、埼玉県のある県立高校です。学生運動の過熱化で東大入試が中止となった69年は、全国の高校でも同時多発的に紛争が起きました。ネットもケータイもない時代、高校生たちが突然いっせいに、なぜ学校に異を唱えたのか――その後の43年間の物語をつむぎます。連載に先立ち"リアリズムの名手"といわれる盛田さんに、作品にかける意気込みをつづってもらいました。

1969年を舞台に小説を書こうと思い立ったことには一つの理由がある。学生運動がピークを迎えたその年、ぼくの母校の川越高校でも連日のように集会が開かれ、デモが組織される中で、生徒有志が校則を見直す検討委員会を立ち上げ、ついには「政治活動の自由」や「服装の自由」を高らかに謳(うた)う「生徒憲章」が制定され、授業では現代哲学や公害研究などの自主講座が始まった。

ぼくが入学したのは翌1970年だ。だから上級生が勝ち取った成果を誇らしく思ったものだが、それもつかの間、異議申し立ての機運は急速に退潮していき、マスコミはぼくらをシラケ世代と呼び、無気力・無関心・無責任の三無主義のレッテルを貼った。

自分は遅れてきた青年である。そんな忸怩(じくじ)たる思いから、ぼくは16歳の夏、母校を舞台にして生まれて初めて小説を書いた。タイトルは「糠星」。それが学習雑誌「高2時代」のコンクールで1等になり、活字になった。ぼくのささやかな出発点だ。

だが、出発点がシラケの70年ではなく、激動の69年だったら、ぼくの人生は確実に変わっていただろう。その思いを40年以上経ってもなお拭い去れないでいる。なんと大げさな、と思われるかもしれないが、高校紛争(闘争)に加わった上級生たちのその後の人生の変遷を知るにつけ、その影響が計り知れないほど大きかったことが分かる。

だからこの小説では、69年に自分が中学生ではなく高校生だったと仮定して、もう一つの別の人生を生きてみたいと思う。当時の高校生は自分たちの力で世の中を変えることができると最後まで信じて闘った。その時代をもう一度生き直してみることで、現代の閉塞した日本社会に生きる高校生に、そしてその親たちに、精一杯のエールを送れないか、という思いもある。

◇       ◇

盛田隆二(もりた・りゅうじ) 1954年東京都生まれ。明治大学卒業。情報誌「ぴあ」編集の傍ら小説を執筆し、90年の「ストリート・チルドレン」(野間文芸新人賞候補)、92年の「サウダージ」(三島由紀夫賞候補)で注目される。96年作家専業に。2004年に刊行された「夜の果てまで」が30万部を超すベストセラーとなる。他の作品に「おいしい水」「あなたのことが、いちばんだいじ」「ささやかな永遠のはじまり」「ありふれた魔法」「二人静」「身も心も」「きみがつらいのは、まだあきらめていないから」など。

※盛田隆二さんの小説は9月3日から掲載します。

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