鉄の町、釜石は俺たちが守る 新日鉄の現場力 「メードバイJAPAN」第4部(2)

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2011/6/1 7:00
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日本の製造業の強さは素材や部品、完成品に至るサプライチェーン(供給網)の柔軟性さにあった。しかし3月11日の東日本大震災はこのネットワークを寸断し、多くの企業が部品・部材の調達に苦しんだ。日経産業新聞の連載企画「メードバイJAPAN 第4部」の2回目では安川電機や東芝、日産自動車などが復旧に全力を尽くす動きを描いているが、新日本製鉄の釜石製作所(岩手県釜石市)も大津波に襲われ被災しながら、1カ月という短期間で再稼働にこぎ着けた。

取材班記者は震災から約2カ月を経た鉄の町、釜石を歩き、新日鉄OBたちや取引業者らから話を聞いた。これまでにも数々の危機に直面しながら、それを乗り越えてきた「北の鉄人」たちの底力が浮かび上がってきた。

■近代製鉄は釜石で始まった

釜石製鉄所前に立つ大島高任像

釜石製鉄所前に立つ大島高任像

5月中旬、JR釜石駅を降りると目の前に巨大な釜石製鉄所の建物が目に飛び込んでくる。その手前に立つのは「日本近代製鉄の父」と呼ばれる大島高任の銅像だ。南部藩士だった大島は1857年、鉄鉱石を原料とする西洋式の高炉での鉄の生産に成功。富国強兵の象徴である八幡製鉄所の稼働より40年以上も前の話だ。

のちに釜石では官営製鉄所が発足。数々の操業トラブルに見舞われながらも近くで採れる鉄鉱石を使って鉄を作り出し、日本の近代化を支える礎となった。

タクシーで5分ほどの距離にある公共埠頭(ふとう)では、クレーンがコイル状の鉄線材を貨物船に積み込んでいる最中だった。新日鉄は近くに専用埠頭と荷役設備を持つ。しかし津波で倒壊の被害に見舞われたため、やむなく公共埠頭を使っているのだ。岸壁近くには津波に押し流されたトレーラーの残骸が横たわる。「最近、新車に替えたばかりらしいのに」。タクシーの運転手が教えてくれた。

津波で流された鋼材運搬トレーラー

津波で流された鋼材運搬トレーラー

「何が悔しいって、ちょうど線材工場の50周年式典とOB会の発足を話し合ってたんだ。それが難しくなった」。釜石港を望む高台の避難所を訪ねると、自宅を津波で失った製鉄所OB、藤原真一さん(74)が話してくれた。長年、灼熱(しゃくねつ)の鉄と闘ってきた顔には、さみしげな表情が浮かぶ。

藤原さんは1954年に釜石製鉄所に入社し、61年の線材工場の立ち上げに携わった現地採用の1人。地震発生時は製鉄所近くの建物の2階で式典やOB会設立の準備会議をしていた。大きな揺れに「津波が来る」と直感した。避難した後に、OB会員になるはずだった元同僚が犠牲になったことも分かった。

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