「国策に売り無し」と、ラップ口座急増の光と影
編集委員 田村正之
「国と企業が一体になって自己資本利益率(ROE)向上に動き始めた。目先は短期的な過熱感から調整するかもしれないが、『国策に売り無し』でやがて日本株は上がっていくのではないか」。広木隆マネックス証券チーフストラテジストはそう希望を持つ。個人の「貯蓄から投資」の動きも今度こそ進展すると思いたい。そうした中で気になるのが、「ラップ口座」という商品の急拡大だ。
「日本人や日本企業が本来有している潜在力を覚醒し、日本経済全体としての生産性を向上させ、『稼ぐ力(=収益力)』を強化していくことが不可欠である」
先週まとまった「『日本再興戦略』改訂2014」には何度も「稼ぐ力」という言葉が出てくる。カギはやはりROEだ。法人税下げ、規制緩和、JPX日経インデックス400などはいずれも企業のROE向上を促す。「企業もROE向上の意識が強まっていて、官民が一致し始めている」(広木氏)

グラフAでわかるように、今、日本の株価はROEの向上があればぐっと上向く「スイートスポット」に差し掛かっている。
株価は純資産(BPS)×期待(PBR)という関係で説明でき、BPSが一定でもPBRが上がれば上昇する。そしてPBRはROEが8%前後を超えた頃からぐっと上向いていく「くの字型」の関係にあることが知られている(8%前後が株主が期待している利益率とみられるため)。
2015年3月期の予想ROEは8%強。これが企業自身の努力と法人税減税などで10%前後に上向けば、グラフから見れば現在1倍台前半のPBRが2倍前後に上向いてもおかしくない。その場合株価も大幅高になる。
もちろん一足飛びにはいかず、今期も来期もROEの伸びはやや踊り場。業績の伸びの鈍化に加え、利益の蓄積などで自己資本が膨らんでいる。大和証券の守田誠シニストラテジストは「配当と自社株買いを合わせた総還元性向の今期予想は07年を大きく下回っていて、さらなる努力を望みたい」と話す。
折しも6月に発表された公的年金の財政検証では、現在は現役の6割を超えている所得代替率が、5割かあるいはさらに下へ割り込む可能性が明らかになった。今や資産運用は自助努力による個人の生き残り手段としての重要性を増している。
そのさなかで急増しているのがラップ口座。個人が証券会社や銀行と投資一任契約を結んで、運用から管理を任せるサービスで、対象は国内外の株式や投資信託など様々だ。残高は3月時点で1兆3760億円に達し、1年前から8割も増加した。
金融機関からは「長期的に大切なのは短期の売買の巧拙ではなく、資産配分」と説明され、「様々な資産に分散して長期で持つことが大事」とラップ口座を薦められることが多いようだ。ここまでは歴史に検証されてきた大切な事実なのだが、気になるのはコストだ。

ラップ口座の手数料と投資信託の運用管理費用を合わせると2%台半ばに達することも多い。これは長期ではかなりの負担になる。例えば内外の株式や債券を組み合わせた資産配分で期待リターンが3%、リスクが8%だとどうなるだろう。1000万円を投資した場合で考える。

ちなみにリスクというのは、期待リターンを中心にしてその上下の範囲内に投資成果が散らばる確率が68%(おおむね3分の2)という数値だ。コストがない場合、3%を中心に上は11%、下はマイナス5%の範囲に収まる確率が3分の2となる。時間の経過とともに投資成果のバラツキは変化していき、図にするとグラフBのようになる。
ただしラップ口座の年間のコストが2.5%かかると実質的な期待リターンは3マイナス2.5で0.5%に低下する。やはり時間の経過を図にするとCのようになり、高い収益率が見込めない一方、元本割れになる可能性が高まってしまう。
もちろん投資にはコストがかかるが、例えば信託報酬が0.6%の低コストのインデックス(指数連動型)投信を使えば、グラフCのように比較的安定した収益率が期待できる。

結構頻繁にリバランス(特定の資産が増減したときに全体の比率を元に戻すこと)することを利点として説明する商品もある。しかしよほど大きな値動きがない限り、リバランスは1年に1度程度でもあまり困らないというのが一般的な考え方だろう。
もちろん誰もが自分で安定したポートフォリオを作れるわけではなく、助言が聞きたいという人も多い。自分では買いづらい優良なファンドを組み入れてくれたり適切な売買をしたりしてくれれば、コストを上回る価値を得られる人もいるかもしれない。比較的低コストでラップ口座を開ける金融機関もある。
しかし会社員のかたわら投資を続け、資産運用の著書もある著名投信ブロガー、水瀬ケンイチ氏は「本来の期待リターンの中から2%強もコストで持って行かれれば、長期でかなり勝ちにくくなるということはとても大切な知識」と話す。
また「確かに資産配分は重要だからこそ、すべてを任せっきりにしていると、大きく下げたときに自分で納得が得られなくなるのではないか」と心配する。
個人はこれまでも何度となく、投資に踏み出そうとして「やけど」をし、市場から去ることを繰り返してきた。資産運用が「生き残りの手段」として重要さを増す中、高コストを一因とした損失発生や低収益で再び市場から去ってしまえば、本人にも金融機関にも大きな痛手だ。
ラップ口座への金融機関の取り組みは、従来一部で見られた「回転売買」から、資産残高重視の営業への転換という流れの一環でもあり、姿勢の変化は投資家に「光」の面もある。一方で保有期間中のかなりな高コストは、新たな「影」にもなりかねない。今後の費用の引き下げとサービスの質の拡充が進むことが期待されている。