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シャープも個人も間違えた「あの時」の円安株高

編集委員 田村正之

アベノミクスで進んだ円安・株高。ドル円レートに関しては今後1ドル=110円もあり得るとの見方が増え、業績への底上げ効果も期待される。一方で気になるのが、総合的な為替の水準を示す実質実効レートが、シャープも個人も投資を間違えた「あの時」の水準に近づいていることだ。

金融危機前の2007年の円安のピークは1ドル=124円。すでに円安が進んだ足元から見てもまだ2割以上も円安だ。しかし「為替の本当の水準は『実質レート』で考えるのが、国際金融の常識」(国際通貨研究所のチーフエコノミストを経て現在は龍谷大学教授の竹中正治氏)。

実質レートというのは、名目為替レートからインフレ率格差の影響(例えば物価が上がった国はその分通貨価値が下がる)を取り除き、それ以外の要因による買われすぎ・売られすぎを判断する指数。さらにドルに限らずユーロなど様々な通貨を総合的に集計(実効化)したのが実質実効レート(グラフA)だ。

実質実効為替レートは長期的には過去の中心的な水準に回帰する。これは投資の重要な判断材料になる」(JPモルガン・チェース銀行の佐々木融・債券為替調査部長)

グラフAで気になるのは、足元の実質実効レートが、金融危機前の07年の円安水準にかなり近づいていることだ。

「実質実効レートを振り返ると、足元のトレンドだけで判断することの危うさが浮かび上がる」と話すのは著名株式ストラテジストの北野一氏。

例えば1990年代半ばの異常な円高局面で海外生産比率を大きく引き上げたアイワはその後の円安局面で競争力が低下、ソニーに吸収された。その反対に、実質実効レートが大幅に円安に乖離(かいり)していた07年に堺新工場の建設を発表したのがシャープだった。この時期はパナソニックなどでも工場の国内回帰が見られた。

「家電メーカーの失敗の本質の一つは、実質実効レートでみると為替が異常値だった時期に、それが続くと判断して投資を行ったことにもあるのではないか」(北野氏)

同様の行動は個人の投資にも見られる。06~07年の時期に、個人はこぞって猛烈な外国債券への投資を行った。しかしやがて実質実効レートは過去の中心的な水準(当時から見て円高方向)に回帰し、大きな為替差損を負った。

ドル円でも状況は似ている。グラフBは過去のドル円レート(1)と購買力平価から試算した目安レート(3)との関係。長期間、ドルは円よりインフレ率が平均2~3%高かった。このためドルの購買力(モノが買える力)が減って通貨の価値は下がった。逆に目安レートが示す円の価値は上がり続けた。

実際のドル円レートも数年規模の「円高・円安の波」で上下にうねりながらも、目安レートにおおまかに沿った動きになっていた。

そして最近の大幅な円安方向への転換。ドル円レートの目安レートからの円安方向への乖離率は、07年当時とかなり似たものになっている。

もちろん実質実効レートにしても購買力平価が示すドル円レートにしても、乖離がどこまで広がるか、修正時期はいつかをあてることはできず、あくまで長期で為替を考えるための、ざっくりした判断材料にしか過ぎない。

黒田日銀による緩和が「異次元」であるからには、過去の乖離の水準を突破してもおかしくはない。いずれ見込まれる米国の利上げなどを背景に、中期的にまだ円安余地はあり得るとの見方は多い。JPモルガンの佐々木氏も「今年ドル円で105円、来年には110円もあるかも」とみる。市場では再来年には120円との予測もある。

一方で佐々木氏は「購買力平価を軸にした投資判断は、過去、中長期ではかなり有効だった。この先の円安の余地は今までほど大きくなくなりつつある」と話す。

冒頭の竹中教授はかつて金融機関で為替ディーラーとしても活躍したプロ。自らも投資家として、購買力平価を軸に長期投資を続け、金融危機前にはいち早く円安の終わりを見通して投資成績を向上させた。

現在の状況を「まだ円安余地はあるかもしれない。しかし自分自身の投資としてはこの先さらに外貨建て資産を積極的に積み増す水準ではなくなったと判断している」という。つまりだんだん慎重さが求められる水準になっている。

実質実効レートや購買力平価を巡っては、今、さらに根本的な問いかけが起きている。過去の長期の円高トレンドの理由である日本のデフレが終わり、インフレ率が高まるなら、グラフBでみた購買力平価の右肩下がりのトレンドも終わるかのかどうかという点だ。

「長期の為替は金利や貿易収支ではなく、あくまでインフレ率格差で決まるというのがセオリー」(佐々木氏)だけに重要な問題だ。

日米のインフレ率格差はここ二十数年、年に2~3%という持続的で強固なものだった。このことが長期平均で年に2~3%ずつ円の名目レートが切り上がっていった背景だ。

ただ、アベノミクスで日本のインフレ率がもし本当に2%に上がるとしても、前提として世界的に経済が上向いていないと困難だ。「そのときに米国も同じ水準にとどまっているとは考えづらい」(ドイツ証券の田中泰輔チーフ為替ストラテジスト)。つまりインフレ率格差の逆転までは起きづらいとの見方が多い。

竹中教授や佐々木氏も「足元の円安は、数十年繰り返されてきた円高・円安のうねりの一つである可能性が高い」とみる。ということは、数年内にもし110~120円などへ加速しても、いずれ再び円高方向への転換も個人の長期投資の上では頭のすみに置いておく必要があるということだ。

それでも2~3%という過去の両国のインフレ率の乖離が、小さくなることは考えられる。その場合、「購買力平価の円高方向への右肩下がりのピッチも、小さくなる可能性は高い」(田中氏)。

田中氏は「すでに90年代後半以降は、金融危機後の一時期を除き、実際のドル円レートが購買力平価が示す水準より円安方向に動きがちになっている。日本の経済力の低下が背景にある」と、構造変化が始まっていると指摘する。

もちろん財政悪化を懸念した円売りなどで日本のインフレ率が極端に上昇、持続的に米国を上回るような事態になれば、購買力平価が円安方向に転換する可能性もないわけではない。今後の長期的な焦点は、インフレ率格差が逆転するような「異次元」の変化が起きたり、実質レートのトレンドが過去の中心的な水準から円安方向に変化したりするかどうかだ。田中氏は「実質レートの変化は起き始めているかもしれない」とみる。

ただしこれは、まだ現時点では断定的な判断は困難だ。すでに外貨資産を一定程度持っている人は、竹中教授のように「さらに積み増す水準ではなくなりつつある」との判断もある一方で、リスクに備えた分散という意味では、外貨建て資産が少ない人はある程度増やしておくことも必要だ。

すでに円高修正がかなり進んだ現時点としては「単純に為替だけで稼ごうと思わず、海外企業の株式など、成長性の高い外貨建て資産に投資するという視点も非常に重要」(田中氏)だろう。

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