/

原風景と文化守る「竹富島憲章」 沖縄復帰40年

白砂の道、赤瓦の民家、サンゴ石灰岩の石垣、色とりどりの花。素朴な沖縄の原風景が広がる。

人口360人の小島

東京から2千キロ、那覇から430キロ離れた周囲9キロ、人口約360人の小さな島、竹富島(沖縄県竹富町)。観光客は水牛車に乗り、のんびりと景色を楽しむ。それを守っているのは、島民が1986年、自主的に定めた「竹富島憲章」だ。

島の土地や家を島外者に売ったり、無秩序に貸したりしない。建物の新・改築は伝統的様式を踏襲し、屋根は赤瓦とする。所有者の変更は事前に、地方自治法に基づく認可地縁団体「竹富公民館」内の「調整委員会」に届け出る――。

「厳密に言えば財産権侵害で憲法違反かもしれない」。竹富公民館館長の上勢頭芳徳(68)は話す。厳しいルールを守り続けるのは「復帰前後から外部資本のリゾート開発計画に対峙してきた経験があるから」だ。

日本復帰前年の71年、竹富島など八重山諸島は7カ月間雨のない大干ばつに見舞われ、大型台風が追い打ちをかけた。農業や牧畜は壊滅的被害。島が困窮する中、復帰後の沖縄ブームを見越した本土業者がリゾート用地として海岸部の土地を取得し、島全体の15%にあたる80ヘクタールを買い占めた。

島の土地の多くは農業に適さないサンゴ由来の土壌。暮らしはずっと貧しかった。「お年寄りが当時貴重だった卵を手に『土地を買ってくれる人がいる。お礼に行く』と言う。1坪わずか10セント(当時36円)だったのに」。上勢頭は、おじから聞いた話を覚えている。

だが買い占めが表面化すると、島では反対運動が起きた。町並み保存運動に発展し、竹富島憲章制定につながった。87年には国が島の中心集落を文化財保護法に基づく「重要伝統的建造物群保存地区」に指定し、乱開発は食い止められた。

ただ、海岸部の問題の土地80ヘクタールは指定対象外。所有者も転々とした。2006年には米国系ファンドに根抵当権が移動。上勢頭は「こんな小さな島が世界的投機マネーの対象になるとは信じられなかった」と振り返る。

協力の精神育む

07年、約13億円で80ヘクタールを買収したのは星野リゾート(長野県軽井沢町)。またも本土業者の買収かと反発が高まった。

「帰れ、帰れ」。住民説明会で島民は社長の星野佳路(51)に怒声を浴びせた。何度も島を訪れた星野は、土地を取り戻したいという島民の悲願を知る。

同社は11年、80ヘクタールのうち7ヘクタールに建てたリゾートの収益で土地購入費を回収できる見通しの26年をメドに、用地全体を保有するグループ会社を共同運営にする協定書を竹富公民館と結んだ。残りの土地利用に島民が関与できる内容。これで、開発容認の島民が多数になった。島の伝統家屋を模した星野リゾートの施設は今年6月、開業する。

竹富島は「うつぐみの島」と呼ばれる。うつぐみとは協力し、助け合う精神。厳しい生活がそれを育んだ。憲章も、うつぐみの精神で島の文化と自然を守るとうたう。竹富島史の編さんに携わった島民、阿佐伊孫良(74)は「憲章は島の羅針盤。うつぐみの島の気高さを失わないように島民の力を合わせていく」と話している。=敬称略

初割ですべての記事が読み放題
今なら2カ月無料!

セレクション

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン
図表を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した図表はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン

権限不足のため、フォローできません